
目 次
インスタ映え以上のインスタ映え
たつぷりのレモネード置き熟睡(うまい)せば愛してしまうでせうよ世界を(紀野恵)
立風書房『新星十人』
紀野恵集
自選一〇〇首<夏>より
現代を覆う一般性と整合しない、いくつものひらきを、この一首におもう。
「たつぷりのレモネード」が目の下にのぞまれれば、その清新を、現代は、インスタなんてフィールドで公開するのである。
また、これは短歌であるが、短歌は短歌でも、現代は、このような文体が量産されることはなくなった。

愛してしまうでせうよ
たつぷりのレモネード置き熟睡(うまい)せば愛してしまうでせうよ世界を(紀野恵)
満ち足りた時間があったのだろう。
「たつぷりのレモネード置き熟睡(うまい)」してしまうことで。
「世界」は肯定されたのだ。
たかだか「たつぷりのレモネード置き熟睡(うまい)」したことで。
このいやしくないたたずまいの<わたし>は、現代には疎遠の文体によって、こちらの胸にしむ情感を生み出した。
インスタグラムに投稿された「レモネード」ばかりではない。短歌にあっても、無数の「レモネード」が、時の経過によって、無数の反故となってしまうであろう。
が、この一首の読後感は、現代の流俗をよそに、人の暮らしの一隅を明るく照らしたのである。
雪せめて在れ

会戦と呼ぶ名うつくし地の上はあららかに降る雪せめて在れ(紀野恵)
同
『天河歌』より
人々の叫ぶ声が。
されど……、
近づきがたい魅力は辺りを払う。
冬の夜を欺く劫火
風を呼ぶ墨
なるほどせめて雪を
短歌という定型たった一つに広大な世界を見渡している錯覚を覚えてしまう。
思ひ結ぼれ

寒気団が振り落としゆく白きもの溶くるものひとは思ひ結ぼれ(紀野恵)
同
『天河歌』より
「会戦」から一転して静寂な「白きもの」が……。
「寒気団が」うんぬんとあるが、一言「雪」ですませないことで、地上の「ひと」に、雪が、かくも美しい調べとなる。
この美音であたかも川のせせらぎも止むかである
そして思いは結ばれる
短歌という定型たった一つに時間が止まった錯覚を覚えてしまう。
紀野恵
わたしが短歌をやめないでよかったと思える、その一つに、紀野恵がある。
短歌を始めてみたはいいが、一読してすっと頭に入ってくれない短歌が、当時、いくらかあった。
たとえば紀野恵の短歌群がそうだった。
ところが、いつだったか紀野恵を再読してみると、その典雅に圧倒されたのである。
短歌を詠むことに気高さがある。
美しい威厳がある。
おそらくそれは、紀野恵の天禀のものであろうが、自分がいい短歌をつくれないにしても、短歌を読むことはやめないとさせるに余りある歌人なのである。
