三ヶ島葭子

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短歌ブーム/夢のような話であるが果たしてそれは本当なのか

1 ちょっとした短歌ブームなんだそうな。短歌は簡単です、と言われているのが目に留まることのよくある最近である。「短歌はかんたん」とか「短歌はカンタン」なんて表記されて。短歌の愛好者とすれば悪い話でもなかろうが、短歌が簡単 短歌ブーム/夢のような話であるが果たしてそれは本当なのか

三ヶ島葭子「わが顏に手拭が」まことにやさしい人がいること

うちのめされるようなやさしさが短歌に 妹は障子はたけりわが顏に手拭が被(かぶ)されてありし(三ヶ島葭子) 創元社『三ヶ島葭子歌集』(大正十五年/をりをりの歌・その六)より<「障」は旧字(以下同)> この連作の1首目はこう 三ヶ島葭子「わが顏に手拭が」まことにやさしい人がいること

高松秀明「死にとなりしてすわる」短歌は祈りのための発明品

その短歌の<わたし>を時を超えて愛しむ 新しき世紀ちかづく一日を死にとなりしてすわる礎石に(高松秀明) 角川書店『五十鈴響(いすずなり)』(一  滋賀山寺・近江の宮居)より 淡々とした調べである。が、一読して読み捨てられ 高松秀明「死にとなりしてすわる」短歌は祈りのための発明品

三ヶ島葭子「明日ものぼらむ」のこりの人生を切なく短歌へと

のこされた人生を短歌にとどめる たまたまに來たりし吾子が埽除して敷きかへし床に晝寢をするも(三ケ島葭子) 創元社『三ヶ島葭子歌集』(大正十四年/をりをりの歌・その五)より どうしてこう一言で説明のつかない感情と表情が時を 三ヶ島葭子「明日ものぼらむ」のこりの人生を切なく短歌へと

三ヶ島葭子「部屋あかるくも」孤独の女性の感情を支える語彙

短歌に豊富な感情と平凡な語彙は両立可能 障子張り部屋あかるくもなりにけりひとりすわるもいつもの所に(三ヶ島葭子) 創元社『三ヶ島葭子歌集』大正九年/秋雨より 何なんだ。目に袖口をあてたくなるこの光景って。下句が、わたしの 三ヶ島葭子「部屋あかるくも」孤独の女性の感情を支える語彙