
疲れしまうこともある
あたしゃなにもスター歌人になりたいと言ってはいないのである
その短歌なら知っている
その人、他に、どんな短歌があったっけ
ぬぁんてくらいにはなりたいじゃあぁりませんか
よっぽど才能がないらしい、短歌なんてやめちゃおうかなあ、と、思ったことが何度かあったし、今でも思うことがあるのである
ここを
そのようなページに
したいと思います


採用されないなあ
わたしは探していた

ひどく落胆している人
しかし継続している人
見つかりませんでした。
だったら
わたしがそれを
用意する
このあたりのことは
ここで
心の整理をしておきたい
短歌をやめたくなる原因
このような短歌系サイトの運営をしていることが恥ずかしくもなる。
からだにも毒なんじゃないのか。

からだに毒な人生を
さんざん送ってきておいて
こう考える あ・た・し
短歌を大学ノートに書き写すこと15冊を超えた
ボールペンを5ダースはつぶした
なのにだよ、なのに
何も短歌じゃなくたっていいじゃん、短歌じゃなくても
この先、そこそこ短歌ができようと、それがどれほどのものか。それもたかが知れた数の短歌の。
かくしてやめたくなる

短歌をやめたくなる対策

なお短歌を読むこと。また、短歌をなお書き写すこと。
それができない筈がなのだ。難しくはない筈なのだ。
短歌が好きであれば
好きでさえあれば
もうやめておけ、と自分で自分に警告しているのに、その日の夜はまた短歌をしてしまうのはなぜ?
好きというのはそうことでは?
ものになる作品がほとんどないのはいかにも無念ではあるが、結局、短歌しちゃってるんだからああだこうだ考えていると、いっそう疲れてしまうだけですよね。
まったく無念だが

なぜ短歌を世に送りたい
穂村弘になりたい?
違う。
立派な賞の一つも欲しい?
違う。
誰かがわたしの短歌でその人生を浄化できること。
具体的には、人生の苦からふっと解放されること。
可能であれば、コンマ1秒、時空を超えて、互いに交感してみること。
そしてこう思う
このような短歌系サイトの運営をしていることが恥ずかしくもなる。先にそう言った。
されど、敗北の少ない人の話を好む人がいるだろうか。
その人が連敗してる人だからと捨て置く人は好かれる人だろうか。
わたしが連敗していても連敗しているのに短歌を継続している姿を読む人はいないのか。
いる。わたしがそうだ。わたしは読む。そんな人のを、わたしは、好んで読む。
どう作歌したかを共有
よっぽど才能がないらしい、短歌なんてやめちゃおうかなあ、と、思ったことが何度かあった、と。
されど、日々、また短歌をしてしまう、と。
そのような背景に、どう作歌したか、短歌を始めて、初の採用を目指している人の参考に、歌作過程を共有できないか、以下の記事を積み上げています。