阪森郁代

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阪森郁代『ナイルブルー』生きるも死ぬも水の力がそこにある

なぜ自己否定を必要とする みづからを否定したくて否定するこの明るさの中なる二月(阪森郁代) 角川書店『ナイルブルー』(蜜にもならむ)より わざわざ否定することもない現在に、ここで、否定すべきところを探してみたのか。 否定 阪森郁代『ナイルブルー』生きるも死ぬも水の力がそこにある

阪森郁代「あいまいに時を過ごした」それがわが半生だったら

誰にでもあるあいまいな時間 あいまいに時を過ごしたその理由(わけ)をまたあいまいに考へてゐる(阪森郁代) 角川書店『ナイルブルー』(木星の小火)より 自堕落な日々を過ごしてしまいました、なんて歌ではないだろう。惰性に任せ 阪森郁代「あいまいに時を過ごした」それがわが半生だったら

阪森郁代「流動体のやさしさ」その気になればこう生きられる

「轟音」と「はかなごと」 轟音に列車は過ぎてその後にはかなごとなど言ひ出す人も(阪森郁代) 本阿弥書店『歌壇』2017.4月号「夜のさざなみ」より なぜ「その後に」なのか。「轟音」があっては話が聞こえまいと、話が、いった 阪森郁代「流動体のやさしさ」その気になればこう生きられる

阪森郁代の短歌/司馬遼太郎を経て圧倒的な<ひとり>を知る

1 作者とオーバーラップする物語がある。たとえば親にこんな目に遭っていますとか。たとえば誰ともフツーのおつきあいができませんとか。いっぱいいるって、そんなの。読んでいたけど。 30近くになると、そのような小説を、まったく 阪森郁代の短歌/司馬遼太郎を経て圧倒的な<ひとり>を知る

阪森郁代「朝の無人の部屋」おれには短歌なんて作れないのか

外界と内界 三面に殺(さつ)の文字の散らばるを見たり朝の無人の部屋に(阪森郁代) 角川書店『ナイルブルー』(十月の扉)より 稀ならぬはむしろ「殺」にして、「朝の無人の部屋」こそ、人々の遠くにあるものに錯覚してしまいそうだ 阪森郁代「朝の無人の部屋」おれには短歌なんて作れないのか