武山英子「傾けるかたち」力が尽きるまで恋をする慟哭の声よ

こころさびしき明治の四十二年

武山英子「傾けるかたち」力が尽きるまで恋をする慟哭の声よ

われ君にすがらむとして傾けるかたちをおぼえこころさびしき(武山英子)

筑摩書房・明治文學全集
『明治歌人集』
武山英子篇
(四十二年の卷)より

この「傾ける」は、<わたし>の実体が「傾ける」ではないだろう。

でも、「傾けるかたち」があること。
それがどのような「かたち」でも、「すがらむと」する「こころさびしき」心情は、読む者にもまた、「さびし」く、やがて痛む。

この「こころさびしき」を、みじめ、なんて非詩的な語彙に置き換えるのは具合が悪いやろか。

いや何も、お相手がこっちをすこしもおもっちゃいない、と決まった話ではないのであるが、「傾ける」との自覚は、おもいの熱量に、あまりに差があるからだろう。

気の毒でならない

「傾けるかたち」が、身の内にあることを、「おぼえ」てしまった。

それまではまだよかった。身の内を責めるぎりぎりで耐えられていたのである。

それから1年たって

武山英子「傾けるかたち」力が尽きるまで恋をする慟哭の声よ

安らかに君をおもひてありうべき心をもとめ悲しまむとす(四十三年の卷)

あ~、あ~、あ~

1年たってもこれだ

せっかく「安らかに」あったのに、わざわざ自分で自分を「悲しむ」方に向かせる。
向かせてしまうのである。

痛みに裂かれた、その頭上は、このようであった。

水の如く君に志たがふかなしみの夕かすかにひびきくるなり(同)

<「志」は変体仮名>

「君」とつないでくれるのは、「夕」の「ひびき」だけなのである。

針もすすまぬ明治の四十二年

武山英子「傾けるかたち」力が尽きるまで恋をする慟哭の声よ

やはらかき眞綿のなかにわがこころみだれみだれて針もすすまぬ(四十二年の卷)

針仕事に、今、目の下に、「やはらかき眞綿」がある。

「わがこころ」は、「みだれみだれて」いるが、それは、「やはらかき眞綿のなかに」あるんだそうな。

この「針もすすまぬ」を、針仕事に集中できない、なんて非詩的な語彙に置き換えるのは具合が悪いやろか。

「夕」の「ひびき」くらいで、「傾けるかたち」は、けじめがつかないのである。

気の毒でならない

こんな胸のつかえは、並大抵の言葉じゃ説明ができない。

「やはらかき眞綿のなか」の「やはらかき」で、恋することは、「こころ」に、どれだけ苦しいか、武山英子は、これでもかと説く。

それから1年たって

武山英子「傾けるかたち」力が尽きるまで恋をする慟哭の声よ

あはれ今日も昨日に同じ悲しみに君を待つなるわがこころかな(四十三年の卷)

あ~、あ~、あ~

1年たってもこれだ

「今日も昨日に同じ」どころではない。
一年同じではないか。

おおかた「今日も昨日に同じ」な予想はついていたのではないか。

でも、「君を待つ」のである。
いや、君をのみ待つしかないのである。

君をのみ待てる心に木がらしをさびしく親の家にきくかな(四十四年以後)

武山英子の短歌群を初めて読んだ時に、胸に、何かがつかえるように読み進めた。

慟哭の声は、とうとうと胸に流れるものではないのである。

「親の家」ここもまた、かなしみがあるが、ここでは、そこまで踏み込まない

大正元年~四年

つよき藥のみつづけたる一とせのこの春の日の皮膚のおとろへ(近作)

この病に死ぬと豫言者のいひしこと薔薇の芽を洗ひつつふと思ふ朝(同)

力が尽きるを見るに忍べない。

めざむれば人氣なきわが枕邊はうす寒く春の日のかげりたる(同)

血涙(けつるい)相和して流る。

武山英子は、大正4年10月26日に亡くなった。
35歳だった。

病弱だった。

何もやすらぎを告げない

武山英子「傾けるかたち」力が尽きるまで恋をする慟哭の声よ

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