
目 次
敗者の美学はある
首位打者が不遇に耐えていた過去を首位を逃した彼は語った(式守操)
佐佐木頼綱・選
題詠「負ける」より
NHK短歌の佳作に一首、採っていただきました。
さて、たとえば短歌を投稿して、不採用は、採用された人に負けること?
採用されたとして、その数が十の人は、百の人に負けている?
人生に、勝ちとか負けとかそう安易に判定できるものではありませんが、不採用が負けだとすれば、わたしは、負けのプロだ。
千を超える不採用を経験している。
なんてことを、今回の短歌にするつもりはないが。
まず頭に浮かべたこと
かなり前だった。
テレビだった。
記者が、巨人軍の篠塚選手を直撃した。
篠塚が、ほんのわずかの打率の差で、首位打者を逃したのだ。
篠塚はまだ、それを知らなかった。
篠塚は、首位打者を獲得した選手がこれまでどれだけ苦労続きだったかの前置きをして、おめでとう、と伝えてほしい、と。
「負ける」の語彙を使わないで表現したい
1 かつてであれば(草稿)1
首位打者を一厘の差で獲られるも首位の不遇の時を労う
かつてであれば、これでおしまいにしていたところか。
ここからどう推敲していいか、この先の技術的なものが、何もなければそうもなる。
この出来で満足していてはいなかったのであるが。
2 今はもっとねばれる
(草稿)2
首位打者を獲られた彼は首位打者が不遇に耐えた過去を語った
ただ不遇だったんじゃない。そこに耐えていた。
この耐えていたことを、一首において、何とか補強したい。
その分一厘だとか何だとかデータは削ろう
勝者は敗者/敗者は勝者
「負ける」など一過性の話ではないだろうか
今の勝者はかつての敗者だった。
(決定)
首位打者が不遇に耐えていた過去を首位を逃した彼は語った
短歌だって
人間は、勝ったの負けたのいつもこだわる。ついには人生から降りてしまうこともある。
かつて、わたしは、人生から降りていた。
いま人生をやり直しているつもりである。
具体的には、短歌を軸に。
それが端的に「負け」の側に属しているとしても、である。
競争試験や競技では勝ちか負けかが厳然と存在している。
が、人生に、勝ちや負けなど、多分に観念的なものではなかろうか。
ここで
短歌だってそうな筈なのだ。
今の「負け」は、将来に「勝つ」ことがないこともなかろう過去の、ほんの一点に過ぎない。
仲間へ
・外したくない語彙はこれを潔癖に使いきる
・外してもいいと思えばすぱっと切ってしまう
・ふだんからほんとうに考えていることを基に
では、取捨の基準は何なのよ?
・その語彙は本人だけの感傷ではないか
・その語彙にあさましさがないか
・ふだんからほんとうに考えていることであれば選択できる
勝つも負けるも
一過性
いささか観念的なきらいはあるが、ただただそういうこと。
以上。
歌を投稿していて、もうあきらめかけている人の参考になれば幸いです。
いっしょにいい作品を世に出せるようにがんばりましょうね。
