松村由利子『大女伝説』捨て置けない志操壮重な真の女性像が

際立った存在感

確かめておきたきことを数えつつ深夜に開く労働協約(松村由利子)

短歌研究社『大女伝説』
(耐用年数)より

わたしは、短歌という詩型に信頼を置いているが、このような短歌を読むと、ますます短歌に信頼を置く。

多少は短歌に親しんだ程度でナンですが、「労働協約」とかその類は詩にならない、との思い込みがあった。
労働そのものは詩になろう。
でも、労働協約だよ、労働協約。
そんな思い込みを鮮やかに破って、<わたし>は、際立った存在感を出している。

なぜ?
まことなぜ?

大きすぎる問題

松村由利子『大女伝説』捨て置けない志操壮重な真の女性像が

目的を知らされぬまま穴を掘るそんな仕事も会社にありき(穴)

みっしりと詰め込まれたる耳あまた載せてしずかな通勤電車(夏沼)

ここまでは、式守と<わたし>は、同じ軌道を歩いている。
耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶのである。下げる必要のない頭を下げることもあるのである。

確かめておきたきことを数えつつ深夜に開く労働協約(耐用年数)

ここでの<わたし>は、式守と同じ軌道にいない。
アタリマエだ。
目的も方向も、同じものがない。

迫力がある。
「深夜」だからか。
深夜であれば、ここは、憩いの棲み家であろうか。

そこに「労働協約」は侵入した。

憩いの棲み家で、「労働協約」に、あるべきものがちゃんとあるのか確かめてみた。
あってくれ、
ということだろう。
事実関係がいかなるものになっているのか知りたかっただけであれば、「数え」はしまい。

あるべきものとは?

それは大きすぎる問題かも知れない。

でも、どんな?

松村由利子が異性である当然

松村由利子『大女伝説』捨て置けない志操壮重な真の女性像が

どんよりと白色レグホンまどろみぬ勤続二十年の春泥(耐用年数)

純白のにわとりがまだうすらあかりに気怠く光る中を、<わたし>は、「二十年」目の朝を、どれだけ買い替えたかわからない、足がむくむこともあろう靴を履いて勤め先へと向かう。

「労働協約」は、<わたし>に、必ずしも有利とばかりは言えなかった。
一分の不満もない調査結果だったのであれば、あのような歌にはしなかった筈だ。

話が飛躍するようで気がさすが、だいたい決め事なんてものは、一分の不満は不可避である。
一分は一割になって、その決め事はやがて、その一割で十割の性格を占めてしまうことがある。

だから多少のことは目をつむれ、
と言いたいのではない。
その決め事がたとえ立派なものでも、一部の人には、保護してもらえるに十分な決め事ではないのである。

女性であることの不利はないか、その確認が含まれていたと推し量ることに、不自然はあるまい。
直截にそう詠んだ生の歌を読んだことはないが。

あったのか?
女性であることの不利は?

生理休暇一度も取らず終わりたる会社の日々の痛み思えり(月と女)

累々と子をもつことのさみしさよ数万のイヴ解雇されたり(月も真裸)

人生に社会での制約があれば、その人は、不本意な妥協を強いられる。
女性ばかりではないが、ことに働く女性に。

唐突にナイチンゲール

松村由利子『大女伝説』捨て置けない志操壮重な真の女性像が

次の一首を、わたくし式守は、反駁することができない。

女という植民地得て活気づく暗き野望を男気と呼ぶ(出立)

男は女に、ほんとうは、すこしも甘くなんかないのである。

ナイチンゲールは、戦地で、組織の男性幹部に改革を求めても、男たちは、ナイチンゲールを相手にしなかった。

わたしも、一男性ともなれば、それは、くっきりとイメージできる。
女たちがいないところで、ナイチンゲールを、男たちが、どれだけ悪しざまに語っているかを。
なにもナイチンゲールのしたいことを批判しているのではないのである。
おとなしくしておれ、と。女は、と……。

植民地は、征服者に、支配されていなければならないのである。
征服者は、征服者の美酒の味を覚えれば、その盃を、決して逆さにしない。

ナイチンゲールが統計学の創始者との評価があるが、それは、煮えるほどの瞋恚をなだめて、まこと愚かな男たちを説得するためだったのではないか。

男性である、ただそれだけの生ぬるさに、哲理的な知恵などなんの役にも立たないことの、ナイチンゲールのもの憂いかんばせが、目に見えるようである。

アポロは男

きなくさき時代の有人探査機よ太陽神のアポロは男(月と女)

米ソの冷戦時代が過去の現代でも、アメリカは、その名をアポロにしたと思われる。
アメリカに、レディーファーストの文化があるが、アメリカが男性社会であること、わが国の比ではない。
女性が要職に就いているとかいないとかのビジネス指標の話ではない。政治指標の話でもない。
男と女のどちらがどちらに従わなければならないか。
レディファーストは、男性社会の反証である。

そして
男は

男は先天的に月に支配されないのである。

1969年
太陽神・男のアポロ、
月面着陸に成功

働く問題/大きな問題/女性問題

松村由利子『大女伝説』捨て置けない志操壮重な真の女性像が

わたしは何も、この歌集『大女伝説』が女性問題である、との断定をしてはいない。
働くことの問題に女性問題を棚上げできない。
されば、わたしの抱える問題と整合するところがある、という話である。

わたしがわたしであるばかりに不遇なことを解決するのに、松村由利子の短歌が、このままではいられない人生の先を導くのである。

(もちろん松村由利子ご本人にそんなおつもりはなかろうが)

野心だけが支えであった 精緻なる野口英世の細胞スケッチ(粘菌図鑑)

日々の労働の汗の中に出世や名誉を拾う夢を見るほど愚かではないが、かんたんに切り捨てられてしまうわたしでも、労働の地に大義の一つも立てたいではないか。

わたしもこれはこれで、野口英世の嫡子なわけだ。

雨音の一つひとつに穿たれて釉薬ながれやまぬ壺われ(同)

加齢によって失われるのは、何も肌つやだけではあるまい。
情熱を、時という風雨が、奪ってはいまいか。すでに奪われていないか。
<わたし>に、それを止める力はないのか。

『大女伝説』の<わたし>は、まず現実をよく確かめる女性なのである。
そして、何よりもわたくし式守がそこを敬うこととして、<わたし>の人生は、自身の現実をごまかしたりしない。

このままではいられない人生の先

松村由利子『大女伝説』捨て置けない志操壮重な真の女性像が

「労働協約」を調べた、と。
が、情報をいくら集めたところでまだ対策にはならないのである。
(こんなことをぐるぐる考えていると頭がのぼせてくるようだが)

面構えよき女たち下請けの下請けの編集部に働く(月を待つ)

脳内の「大きすぎる問題」を一洗して、面(おもて)が冴えかえる。
要するに英気なのである。
そう言ってよければ、ナイチンゲールである。

人生の困難は、観念でとても追いつく問題ではない。
ならばと狷介に生きれば、こんどは、警戒されて、統計を受け取ってもらうチャンスにも恵まれなくなる。
ついには、足元をすくわれる。

「面構えよき女たち」は、女性問題としての女性だけの話ではない。
人生の条件が限られてしまったひとびとすべてに、性差を超えた、正に生きた手本ではないか。

松村由利子的なごまかしのない生き方が「面構え」を魅力的にする、わたしは、この道理を、残る人生にたいせつに生きていきたい。

松村由利子ご自身がトップに立つ

松村由利子『大女伝説』捨て置けない志操壮重な真の女性像が

王様は裸なるべし株式の乱高下にも恬淡として(月も真裸)

この「王様」は、アメリカの大統領のことか。あるいは、わが国の首相か。

いずれであっても、市場の不安定は、国難である。
この責任は、むろん官僚だけにあるものではない。国難ともなれば、その責任は、あくまで最高指導者ひとりにある。

その最高指導者を「王様」と表現なさっておいでなことに、わたくし式守は、目を離せない。
最高指導者とは、やはり男性らしい。

パンプスもスーツも処分する五月わが総身に新緑は満つ(出立)

上位に男はいない、
とはいかないが、不利益なことも不可避の「労働協約」が背景にない地に立った。
ナイチンゲール的な個人事業主になったわけだ。

<わたし>は、ナイチンゲールに並び立つのか、あるいは、ナイチンゲールをも超えるのか。

わたくし式守は、実は、そこにはさして興味がない。
ご自分の人生にどこまで情熱を維持できるのか。ここまでがやっとなのか。
やっとで終わることがあったとしても、その人生には、常、「新緑は満」ちているのか。

月の支配を逃れる日やや近づかんジョギングシューズの軽きを選ぶ(月と女)

大女伝説

松村由利子『大女伝説』捨て置けない志操壮重な真の女性像が

昔語りぽおんと楽し大きなる女が夫を負うて働く(大女伝説)

古来より、人類に、神話がある。
さまざまな男女がおられたが、現代は、どなたも時空から姿をお隠しになった。

そして

古来より、男の子は、母を愛する。
その全的な愛に生涯頭が上がらないが、かつ母なるものに恐怖を覚える。

読み返す。

昔語りぽおんと楽し大きなる女が夫を負うて働く

わたしは、この一首に、ほんとうのほんとうのところは、男女の原型とはこの光景にあるのではないか、これを結論とはしないが、男女の妙諦を見せつけられる覚えがするのである。

空想と現実の中間にその身を置いて、松村由利子は、壮重な女性像を、短歌に誕生させた。

末梢神経で歌をつくらない歌人がいた。

大女死すごと大き物語死して世界は荒涼とせり(同)

一女性の中年以降の志操に、異性として、捨て置くこと能わず。
短歌研究社の『大女伝説』で、松村由利子は、わたくし式守の、これまでの短歌への信頼を裏書きした。

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