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息をしているのかどうかたしかめるたびにこわしてしまう結晶(鈴木美紀子)
コールサック社
『金魚を逃がす』
(結晶)より
2
わたしは、別の記事で、鈴木美紀子の次の一首を挙げた。
(この一首のための記事ではなったが)
ほんとうはあなたは無呼吸症候群おしえないまま隣でねむる(鈴木美紀子)
書肆侃侃房
『風のアンダースタディ』
(無呼吸症候群)より
そこに、こんな趣旨の意見を添えた。
不作為の殺人であるかの印象が恐怖の短歌としてカテゴライズされていることに驚いた。驚いた、とは、わたくし式守は、そうは読まなかったから。
人さまとチューニングが合っていないこと多々あるわたくしであるが、わたしはこの一首を、相聞歌だと思って読んでいた。
放置すれば死に至ることもある夫に為す術がないことを悲嘆している一首である、と。
3
さて、最初に引用した一首は、こうである。
息をしているのかどうかたしかめるたびにこわしてしまう結晶(鈴木美紀子)
「息をしているのかどうかたしかめる」と。
「無呼吸症候群」を「たしかめる」と推理することは飛躍か。
が、ここで<わたし>が「結晶」を「こわしてしまう」を、「結晶」を惜しむ心情を詠んだものと読んでみるのは、飛躍にはなるまい。
4
この一首の前に並べるものとして、鈴木美紀子は、次の一首を選んでいる。
こな雪の韻律さらさら舞い降りてわたしを言葉にしてゆくのです
「結晶」、これは、雪のことであろうかと。
5
『金魚を逃がす』で、鈴木美紀子は、自在に変身している。
すれ違う風がわたしに気づけたら花の鼓動に生まれ変わるよ(鈴木美紀子)
(花の鼓動)より
わたくしの頭蓋はちいさな鈴になるあなたに「いいえ」と首をふるたび(同)
(やさしい出血)より
乗り換えのためのだけに降りる新宿のホームは濁流 鰓呼吸で行く(同)
(火柱)より
いずれの歌も、何者かに自在に変身しては、鈴木美紀子が、その人生に貫かれた宿命の奥底で、極まらざる愛を探し求める繊巧無類な姿である。
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しかし、雪にはなれない。
雪にだけはなれないのである。
7
されど、そもそも雪とは何よ、ということがあろうか。
隣に眠っていよう「あなた」に、<わたし>は、雪のようなものでありたいとや。
この人生に。女性として。人間として。
眩しい純潔を守り抜きたい、との。
されどそれは叶わない。
8
なぜ叶わない。
「あなた」の死をちらりと思って、その運命を代わってあげられないことか。
あるいは、
「あなた」の死をちらりと思って、少しそれを期待してみるが、死なせるわけにもいかない、ということなのか。
わからない。
わからないが、しかし、いずれであっても、雪の、その結晶は、こわれてしまおうか。
自然の帰結ではない。
ご自分でそうしてしまう。
ご自分で結晶をこわしてしまうことで、事実は事実を増すのである。
「あなた」の死とはこれまた、めったなことを言うものではないことだが、むしろそうであってくれたら楽になれる、といった……。
愛しているがゆえのその倒錯を、鈴木美紀子ご自身が、いちばんよくわかっておいでなのではないか。「あなた」の死は、ここでは”無呼吸症候群”は、ご自分に、卑しさや憐れさを映し出してしまう。
9
『金魚を逃がす』の最後の最後の一首に、鈴木美紀子は、次の一首を選んだ。
声という幻肢はありぬ ひそやかに呼びかけるときになまえはひかる(鈴木美紀子)
(なまえはひかる)より
「なまえはひかる」は、これを、結句に置く鈴木美紀子であった。
なんて美しい結句だ。
「なまえはひかる」まで、お互いを、幾星霜と呻吟してきた歴史があるのである。
人間と人間に、こんな未来が待っている人生もあるのである。
なまえ/呼ぶ/その声
<わたし>が「あなた」へのほんとうのこころは何であっても、雪の結晶は、<わたし>に、こわしてしまう以外の展開はないようだ。
しかし、その雪は、汚れていないだろう。
この一首が「息をしているのかどうか」の幕の中でと言えまいが、この一首の、この結句によって、一読者たるわたくし式守は、そのような考えに至ったのであるが。
雪は、その結晶が、こわれてしまう。
それはしかたがない。どうにもならない。
しかし、あなたを、最後の最後にはやはり死なせられない。
その雪は、汚れていない。
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