
目 次
ひとつぶの麦
ひとつぶの麦死なざれば、ひとつにてただ各(ひとつ)にて…一つなるまま(三枝浩樹)
ながらみ書房
『短歌往来』2025年7月号
「花ものがたり」
“3 郊外のキリスト”より
一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
新約聖書
(ヨハネによる福音書
12章24節)
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の冒頭にも引用されている。
「自己犠牲によってこそ多くの実を結ぶ」と解釈されているし、事実、『カラマーゾフの兄弟』は、この解釈を裏付ける。
ただ、死後に実を結んだ、その恩恵に与れる人はいい。が、みじめに死んだ人は、その人生に、何を獲得した。
他の誰かの幸せにみじめに死んだどなたかの犠牲があった。
などと言っていては人間の愛に言葉は持てまい。
と、筆者(式守)は考える。
遠藤周作の愛読者だった。キリスト教徒ではないが。
無力なる人間の死がどれだけ他者に愛を証明するか、氏は、その残酷な作品で、筆者(式守)の世界観・人間観を更新した。
読み返す。
ひとつぶの麦死なざれば、ひとつにてただ各(ひとつ)にて…一つなるまま
この一首に、わたくし式守は、どうしてこうも惹かれるのだろう。
<わたし>は、それは、作者の三枝浩樹さんでもあろうが、ご自分にまだ足らざる愛を思って罪を感じておられるのかも知れない。
あるいはこうかも知れない。
世の中が紛争(戦争)や物騒な(凶悪な)事件ばかりであることへのご自分の無力を嘆いておられるのかも知れない。
ああ
みじめに死んでゆく人……
病魔というもの
昨年の夏以降、わたしは難病に侵されて、最近、その症状はひろがりつつある。
進行しているのだ。
わたしが一粒の麦であるのであれば、死後、これからの受難も人さまのお役に立てるわけだ。
が、ゆくゆく醜く弱り果てる姿を思うと、そんな立派な麦になるよりも、静かに死なせてくれないか、ともなるのであるが。
まして介護することになろう妻を思えば。

神よ
なぜこのわたしに病気を
神よなぜ
なにゆえに見棄てたもうや…… 棄てらるる身のかなしみを負いたまいたり(三枝浩樹)
「同」
“4 されこうべの丘”より
わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
旧約聖書
(詩編第22章1節)
ゴルゴダの丘で、十字架に磔にされているイエス・キリストは、苦痛の中でこう叫んだ。
お詳しい人は臍で茶を沸かしてしまうでしょうが、イエス・キリストは、こう叫んだからといって、なにも神に絶望したからではないのである。
むしろ逆。
絶望の闇の中にも神に呼びかけるむしろ神への信頼の声である。
わが力なる主よ、わたしはあなたを愛します。
旧約聖書
(第18章1節)
絵画や映画、ドラマでも、教会(カトリック系の教会ということになろうか)で、イエス・キリストが十字架に磔にされている。
痛かったろうなあ、あれ。最後の最後まで。
それをイエス・キリストは耐えていた、と。
ばかりか、自分を裏切った者たちの赦しを神に請うてもおられた。
やさしい人ってどこまでやさしいんだ。
でも
なぜそんなに信じられる
神を
われと共に
われと共にいましたまえな 死を思い命をおもい有無(うむ)をおもえる(三枝浩樹)
「同」
“5 コラール祈り”より
イエス・キリストに呼びかけておられる、と読んで、深読みになるまい。
そして、神の子であるイエス・キリストの愛を、<わたし>は、信じてもおられようか。
イエスは、心の中で深く嘆息して言われた、「なぜ、今の時代はしるしを求めるのだろう。よく言い聞かせておくが、しるしは今の時代には決して与えられない」。
新約聖書
(マルコによる福音書
第8章12節)
イエス・キリストの“物語”は、十字架の受難までの過程に、いくらか奇蹟のエピソードがある。
そのようなものがなければ信じてもらえないのか。
神の存在は
神の愛は
愛の神は
イエス・キリストが神と愛の証明に苦しむこの“場面”には不意を打たれた。
病魔を除かないことには自分の説く神は信じられないのか。
ローマへの軍事力を示さなければ自分の説く神は信じられない存在なのか。
イエス・キリストは、結局何もしてはくれなかった人として、ローマを背景にしたユダヤ教組織の高等政治の前に、引っ捕らえられる。
無力な政治犯として十字架にくくりつけられた。旧約の聖書において、木に括られる者は呪われた者なのである。
そのように屈辱的に扱われた。耐えられない痛みを加えて。
辛く悲しい人のそばで時間を割いていたのに。いっしょに泣いてもおられたのに。
病魔はあれど
満身の創痍をもちてかなしみと痛みの陸(くが)のわれらといます(三枝浩樹)
「同」
“同”より
一読後、この一首に、筆者(式守)は、しばらくうなだれていた。
自律神経障害が急速に拡がった
神はいないのか。
されど、
されど
満身の創痍をもちてかなしみと痛みの陸(くが)のわれらといます
この世界には絶対的な愛の持ち主はいるようなのだ。
ということを、短歌でも説けることを教えて、
三枝浩樹は、連作「花ものがたり」で、難病に冒された一人の人間を慰めた。







