
目 次
今のそのままの言葉
このコトバ孵りそうだけどあなたには殻つきのまま渡しちゃいたい(くりはらさとみ)
読売歌壇25.10.06
俵万智・選より
こんなことを考えた。
練りに練った言葉にしないでもいいのだ。
今の、まず浮かんだ言葉をそのまま、どなたかに差し出していい。むしろその方がいいことがある。
ここで
短歌を作る者として、流麗な調べで、いかにも秀歌じゃなくてもいい。一読してラフな感があっても、その方がかえっていい歌として読めることがないか。技巧を超えた歌がないか。
くりはらさとみさんのこの一首は、技巧もあろうが、そのことよりも、技巧を超えたものについて思考を促した。
「孵(かえ)る」との表現について
言葉というものに「孵(かえ)る」を持ち込んだところがいい。
命の鼓動がある。
そこで
今の言葉をそのまま、と<わたし>は判断したのか。
もうすぐ誕生する存在への愛情が感じられる。
「殻つき」であることの眩しさ
短歌において、練りに練った言葉は、美しく磨かれてはいるかも知れない。
何も短歌の話でなくてもいい。業務連絡のメモを例にしてもいい。メモの完成度が高いほどに行き違いを招く可能性は排除されよう。
が、短歌であろうと、連絡メモであろうと、あれこれ手を加えたシロモノ(言葉であるが)は、要は、加工品になってしまうことがないか。
と、筆者(わたくし式守)に思えてきた……。
それは信頼関係

親友でも恋人でもいい。もちろん夫婦だっていい。
「殻つきのまま」とは互いに今の心のままを見せていいこと。
と、考えてみるのはどうか。
ありのままでいい。ありのまま。
それはもうなんて温かい信頼関係であろう。
読み返す。
このコトバ孵りそうだけどあなたには殻つきのまま渡しちゃいたい
技巧を超えた身体感覚

一回もチャリを漕がずに帰れたらこの街はやはり傾いている(くりはらさとみ)
『ダ・ヴィンチ』2025年12月号
「短歌ください」より
穂村弘・選
斡旋された語彙の何と平易な。
坂道の下りは、ペダルを踏まないでも前進できる。
それを「街はやはり傾いている」と表現したことに、何だか技巧を超えた説得力があるように思えた。
作者だけの身体感覚があること。
それを知っているのは作者だけであること。
むろん「坂道ってああ楽ね」なんて歌では歌人の芸などありはしまい。
が、だったとしても、だったとしてもだ。メディアに掲載されるには難しかろうが、身体感覚で発見したことを歌にしてみる心のありようは、どうしてどうして捨てたもんじゃないと思うのである。
筆者(式守)には、であるが。
たださすがにもう一工夫は必要で
で、詩というものを立ち上げるには、さすがにもう一工夫が必要で、この歌の、身体感覚から立ち上げたことは、
「街はやはり傾いている」だった。
ここでいったん読み返す。
一回もチャリを漕がずに帰れたらこの街はやはり傾いている
そして「やはり」の詩的強度
この歌の修辞で、就中、「やはり」には驚嘆した。
ただの坂道である、坂道。
これまでもこの坂道を自転車で下ったことがあるのであろう。
でも、<わたし>であり、作者のくりはらさとみさんは、これを、アタリマエにしてはいなかったようなのだ。
今回、改めて漕がずに帰れたことで、ついに発見した。
「やはり」と。
やはり
「街はやはり傾いている」と。
生活の実感も加味した魅力
「チャリを」と詠まれているではないか。
これがまたいいのである。

自転車だったのである。
であれば、この街は、作者の生活の場でもあるのだろう。
「チャリを」と詠まれている生活の実感は、説得力を増している。
読み返す。
これで最後だ。
一回もチャリを漕がずに帰れたらこの街はやはり傾いている






