米川千嘉子の短歌/その選歌/現実に無力/されど知る愛の力

投稿にうつくしき夏の雨詠みし青年「無職」となる職業欄(米川千嘉子)

KADOKAWA『短歌』
2015.7月号
「夕波納戸」より

たくさんのことを考えないではいられない。

「うつくしき夏の雨詠」めるからとて現実の人生には無力でしかない。

この国がいかに不景気になろうと、条件をつけなければ、仕事は、いくらだってある。
しかし、米川千嘉子が詠んだ、この一首の青年は、いくらだってある、とはいかない。
まだ「青年」である。

還暦がすぐのわたしくらいの方が、逆に、いくらでもある。
ある程度の蓄えがある。人生の残り時間を考えて、基本給はいくらで、賞与も最低はこれくらいは必要で、なんてことはもう要らないのである。

青年がこの先に、どんな人生を夢見ておいでか知らないが、結婚もしたい、子も持ちたい、との人生設計を描いているのであれば、フリーターではいられまい。

正社員の定職に就かないことには、やはり、家庭を持つことは厳しい。

歌など詠んでいる場合ではないのではないか?

ではよし。
生涯を独身で通す、としてみる。アルバイトを転々として、最低限の衣食住を得ればいい、とする。
わたしは、年収が200万もあれば、自分一人を生かすくらいは何とかなる、との見解を持っている。条件をつけていないのに200万の収入が不可能なほど、この国は絶望的か。

にしたって、趣味の一つもあろう。
米川千嘉子の一首の、この青年は、短歌の投稿をしている。されば、どなたかのこの歌集だけは何としても手元に置きたい歌集だってあろう。

仕事が終わればおいしいビールだって飲みたいかも知れない。

200万ではやはりかなしい。
そのへんの工夫は、でも、年収200万でできたとしようか。が、蓄えまではとてもまわらない。

でもなぜ無職。
就職難か。

令和5年6月の有効求人倍率は1.30倍
(厚生労働省・令和5年8月01日(火))

これを基に単純に計算すれば、この青年も、どこかに職を得ることが可能なわけだ。
が、そのあたりが、指標は所詮ただの指標で、どこでもいい、とはいかない年齢層がある、ということである。

あるいは、家庭の事情もあろうか。

まだ青年である親の年代であれば、高齢者介護は想定しないが、障害等何か身内に不自由があって、青年の存在が欠かせないとか。
となれば、青年に、どこかが今すぐにでも迎えたいスキルがあっても、時間の制約に縛られることに。

結婚はますます遠のく。

歌でも詠まなきゃやってられない?

無神経を承知で、残酷な発言をしてしまうが、ご本人に、どうしても雇う気になれないものがあるのかも知れない。入社してもらったが、明日から出社に及ばず、となってしまうのかも知れない。

そういうこともあろうかと。

でも、この青年はどうかなあ。

「うつくしい夏の雨詠みし青年」ともなれば、コミュニケーション能力をとっても、職務上の能力をとっても、入社して早々と放り出されるイメージがどうしても浮かばない。

入社の面接でも、そこが自身の望むままのところではないかも知れないが、どこかは、門戸を開かないか。

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改めて読み返す。

投稿にうつくしき夏の雨詠みし青年「無職」となる職業欄(米川千嘉子)

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青年のその一首がそうであるように、米川千嘉子の、この一首もまた、一人生の現実的な解決には無力である。
されど、一読すれば、この生命は、刷新されないか。

この一首で、米川千嘉子は、政府の雇用政策に目を向けてはいまい。
「うつくしき夏の雨」など現実の人生に無力だと訴えてもいまい。
人生によっては、こんなこともある、そのことをすっと読者にさしだした。

そのこんなことに、米川千嘉子は、やさしさがあった。かなしさがあった。この青年に愛情を持った。

そして、読者たるわたしは、小さくない力を得られた。

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