
『短歌往来』2025年12月号の今月の新人をおもしろく読む。
石谷流花さんの紹介。連作「人魚忌」掲載。
A thing of beaty is a joy for ever.といふ詩句を信じて二十年生きて參りました
(後略)
連作に添えた
エッセイより
連作「人魚忌」より二首引く。
駆(か)けそめぬ陸(をか)にて知(し)らむ歡(よろこ)びを歌(うた)ふ聲(こゑ)さへ捨(す)てし旦(あした)に(石谷流花)
外(と)つ國(くに)の香(か)に憧(あこが)れて船底(ふなそこ)へ絡(から)む水藻(みづも)のごとき初戀(はつこひ)(同)
ゼロ年代の歌を読む機会が数多あるが、このようなおもいをこのように詠む若者もいるのである。
駆(か)けそめぬ陸(をか)にて知(し)らむ歡(よろこ)びを歌(うた)ふ聲(こゑ)さへ捨(す)てし旦(あした)に
「駆けそめぬ陸(をか)にて」と。
まだ駆け出していないのか。あるいは、たった今一歩踏み出してみたところだろうか。
ここは人間の大地。
「駆けそめぬ」との措辞から若者こその大地、と、思ってみてもいいかも。
が……。
「知らむ歓びを」と。
これから知る未来(への期待や希望)を、
「歌ふ声さえ捨て」た、と。
結句を「旦(あした)に」で止めたことも、筆者(式守)に、しみじみ読ませるものがあった。
「旦」は、若者に、清々しいばかりの時空ではない者もいるのである。「旦に」将来を明るく描く者もあろうが、その多くは、なに、要は浮ついているのだ。
「さへ」で、微量の迷いを手当てしていることでは、筆者(式守)を、作者(石谷氏)と同じ年代に戻したものだった。
外(と)つ國(くに)の香(か)に憧(あこが)れて船底(ふなそこ)へ絡(から)む水藻(みづも)のごとき初戀(はつこひ)
連作「人魚忌」の、これが、最初の一首である。
されば、上一首は、相聞歌らしい。
(らしい、って明らかに相聞歌か)
「外つ國の香に憧れ」は、好きな人へのお気持ちと読めるが、<わたし>は、その人に手が届かない。
若く狂おしい胸の内は、「船底へ絡む水藻のごと」く暗く沈んだトーンで表現されるしかなかったのである。
にしても、このスタイルの古いこと、古いこと。
ルネサンスか。違うと思う。そんなことは関係ないこと、と思う。
見よう見まねでおおむかしのスタイルにしてみたただの思いつきの成分が見えない。表現したい内容を、このスタイルは、狭めていないではないか。
作者・石谷流花氏が、ご自分の心がいかに混沌としていても、これを表現するにおいての、そのスタイルへの美意識は守り抜く姿勢に、筆者(式守)は、膝を屈した。
石谷流花さんのますますのご活躍をお祈りいたします。
5年前にご病気に遭われた、とのこと。ご自愛を、どうか、どうかご自愛を。
式守操
