
『短歌往来』2025年8月号の今月の新人をおもしろく読む。
佐藤陽菜さんの紹介。連作「青春の微光」掲載。
(前略)
飾らない言葉で、大学生ならではの等身大の感情を表現し、読んだ人が、
(中略)
共感してくれるような、そんな短歌を
(後略)
連作に添えた
エッセイより
連作「短歌は広がる」より三首引く。
研究室静かに光るイヤホンは逃避の合図論文の海へ(佐藤陽菜)
スマホには課題のメール未読のまま開く勇気はまだ足りなくて(同)
講義へと向かう並木道君いれば色づく銀杏眩しい朝だ(同)
なるほど。
たしかに「飾らない言葉で」、また「等身大の感情を表現し」ているかと。
研究室静かに光るイヤホンは逃避の合図論文の海へ
「逃避の合図」がみずみずしい。
若者はたいへんである、と思った。ちょっと休んじゃおうかな、となっても、「論文の海へ」再び潜らないといけない。あ、いや、「論文の海」にまた漕ぎ出す、という心象風景なのかも知れないが。いずれにしてもこんな海はもう捨てる、とはいかないわけだ。
しかし、作者・佐藤陽菜さんはここでは、悪魔のささやきをあしらったようだ。
スマホには課題のメール未読のまま開く勇気はまだ足りなくて
この連作「青春の微光」の4首目である。
何も働く身でなくても、片づけられないままの責務にいっそう時間が制約されることはある。学生は学生で、余儀ない命令に服従することが少なくないのである。
そうと思えば、結句の「論文の海へ」は、なんと眩しいお姿か。「海へ」の「へ」の心的変化が、すでに若くない式守にはあまりに愛しい。
講義へと向かう並木道君いれば色づく銀杏眩しい朝だ
“眩しい”と言えば、ここにも、まこと眩しい光景がある。
「講義へと」と初句にあるが、であれば、ここは大学構内か。腰の句の「君いれば」の用法がおもしろい、と思うが、どうか。そして、まだ朝であることがまたいい。
銀杏が色づいたのは、時の経過に伴ってではなく、「君いれば」なのである。つまり、眩しい朝の風景は、風景の中に、君と<わたし>があって完成に導かれたわけだ。
事実を事実のまま表現すれば、「色づく」ものは、ちゃんと色づくようなのである。
と、読んでみるのはどうか。
スマホには課題のメール未読のまま開く勇気はまだ足りなくて
こんなことは、数年もたてば、作者に(佐藤陽菜さんに)、腐るほど待っていようか。
「逃避の合図」の魔魅の掌握に堕ちてしまうことに抵抗するどころの騒ぎではない。メールソフトが搭載されているパソコンやスマホを破壊したい衝動と闘うことが待ち受けているのである。
……?
そんな来し方はオレだけか。そんなことぁないだろう。
でも、まあ、ああ、よかった。おとしよりになれて。あんな過去にぜってー戻らねーよ、と思ったのである、この一首で筆者(式守)は。
佐藤陽菜さんの、この連作「青春の微光」の用法で、若さは遠くなりにけりの読者(わたくし式守)は、なぜか情緒に纏繞するが小さくなく、幸福な共感を獲得できた。
後年の佐藤陽菜さんの青春の光沢もまた読んでみたい。それも猛烈に読んでみたい、と思った。
式守操


