「百人一首」あれこれ/短歌往来2025年8月号/勝又浩氏より

『短歌往来』2025年8月号を購読。連載の<歌・小説・日本語>/勝又浩氏の「「百人一首」あれこれ」を、おもしろく読む。筆者(わたくし式守)の頭の中ではぼんやりとしたものだったことが鮮明になった。

(前略)
私には、百人一首とは何だろうという素朴な疑問がずっとある。まず、何で百人なのか、
(中略)
作者は確かだとしても、なぜこの一首なのか、
(後略)

わかる。この気持ちはすっごくよくわかる。
筆者(式守)も、百人であることにカッタルイ難癖をつけはしないが、百人一首をカルタだとすれば百くらいにしておくのが適当であっても、元々は、カルタのために選ばれた百人、もしくは百首ではない。歌集だった。
現代で言えばアンソロジーだった。
(え?  違う?  そう思えるけど)
現代でもアンソロジストの仕事をなさった方は、なぜこの歌人が選ばれる、その歌人を載せることを是としても、なぜその歌が選ばれる、なんてことを言われてしまうのである。
アンソロジーはアンソロジーでアンソロジストの表現の著書として読んではダメですか。
藤原定家もたいへんだ。亡くなってからどれだけ経った。21世紀になったのに言われる。

そして、百という数字ね。なぜ百なのよ、ということですよ。キリがいいからですか。二百も三百も選んではありがたみが薄れるんでしょうか。では、九十九ではダメですか。世界驚きビックリ映像99連発とかあるじゃん。あれでもいい、あれでも。

また、百だって多い、と言い出す人は、平安期にはいなかったのか。平安期の人はXもインスタも使わないしなあ。

勝又浩氏の「「百人一首」あれこれ」は、上の、筆者(式守)のスチャラカなものではもちろんなく、久保田淳『百人一首』(岩波文庫)を基に、歌の歴史(「百人一首」がブランドになるまで)を考察なさっておられる。
まず、一首目はこうであったこと。

秋の田のかりほの庵の苫を荒みわがころも手は露に濡れつつ(天智天皇)

この一首から始まることで、「百人一首」というものの始まりの時代背景が読み取れるに至ったごようす。
そして、人々にはお気に入りの歌があって、その歌で、その時々の「天皇に重ねて喜んだり、また自分の役目を果たしたりしていた」ことへと。

となると、天皇は、歴代の個々の天皇でなしに天皇というものがプリーストキングとしてこの国の文化を収斂する、という観方は一定の説得力を持つように思える。
(あの小汚い統帥権の歴史やそれを許した歴史についてはここでは踏み込まない)

久保田淳『百人一首』(岩波文庫)を読まないで、勝又浩氏の文章に沿って理解した気になっているようでは、平安朝文学の理解も、百人一首の歌ではなしにこれが現代も存在していることの理解も浅いものではあろうが、「「百人一首」あれこれ」は、何度も読み返せるたのしい読み物だった。

今回で勝又浩氏の連載は終了とのこと。100回(あ、やっぱり100)も続けてこられたとのこと。
おつかれさまでした。
ありがとうございました。

式守操