
『短歌往来』2026年2月号を購読。持田鋼一郎氏の連載・浪々残夢録をおもしろく読む。タイトルは、「「歴史的限界」と「内在的理解」」。
この稿に、それは当然のこととして、「現在の天皇ご夫妻の写真を見ても神と思う気持ちはまったく湧いてこない。」と。そして、結びに、「天皇を神と思う気持ちを人麻呂と共有していればおそらく人麻呂の天皇賛歌にも感動できたであろう」。
不意を打たれた。
現代人は、万葉集の人々と同じように天皇を感じていない当然に。
(なお、念のために、であるが、この稿の核は、天皇のことうんぬんではない)
難病に遭って、「神」が、切実な存在になった。
最近、神の問題について、あれこれ独学で調べては、自分なりの神の貌(かたち)を探し求めている。短歌を読むにおいても、自然と、そのあたりに傾斜している自分がある。
海外の、それが何々教であっても、時代とともに「神」の貌(かお)が変わってきていることを痛感していて、そこに、この持田鋼一郎氏の論考だった。
現代を生きる私たちは、天皇は「人間」であることを当たり前に生きている。
その存在を政治的に利用して軍部が狂奔した歴史を知る者にとって、「天皇は人間か神か」の問いは、どこか刺々しい痛みが伴う。
しかし、ふと立ち止まって、戦時中の歪んだ定義を剥ぎ取ってみれば、かつての日本人が抱いていた「天皇」への視線は、もっと素朴で、もっと生命力に溢れたものだったのではないか。
万葉集の頁をめくると、そこには、現代の「象徴」とも戦時中の「忠誠」とも異なる、むき出しの崇拝が息づいている。「我が大君は神にしませば……」とか何とかそんな類の。
そんな歌を詠む古代の人々にとって、天皇は単なる比喩としての神ではなかったのだろう。日照りが続けば雨を祈り、疫病が流行ればその霊力に縋った。彼らにとっての天皇は、自然界の荒ぶる力を制御し、共同体の生存を保証する「現神(あきつみかみ)」だった。生身の呪術師としてのリアリティがあった。
まして、言葉にすればそれが現実になる「言霊」が信じられていた時代である。天皇を讃える歌は、世界を正しく回すための祈りそのものだったのではないか。
武士が世を治める時代になると、天皇への距離感は変容した。民衆にとっての天皇は、御所の奥深くに隠れた「雲の上の存在」で、顔も声も知らない。しかし、将軍に位を授ける唯一の権威として、戦のない夜を護る存在として、大衆の心の奥底に静かに鎮座していた。
大衆と天皇はほどよい距離感だったのではないか。
一方、海の外に目を向けてみる。
一神教の世界における「神」もまた、時代とともにその貌(かたち)を変えている。
旧約聖書を読むと、神の、なんとおそろしいありようか。ルールを破る者に峻烈な裁きを下す、それが、現代では、すべてを赦し包み込む愛の神へと表情は和らいでいないだろうか。
科学が万物の理を解き明かす現代において、神は自然現象を操る魔法使いではなくなってしまった。カントやデカルト、ニーチェによって、神の存在は、思想上の存在へと変容した。
宇宙の真理も、人間の道徳も、神なく形成される抽象的な存在へと昇華されたのである。
こうして並べてみると、日本の天皇観も、海外の一神教も、人間が「超越的なもの」に寄せる期待というものに変遷がかくもあることに、筆者は、息をのむ思いである。
古代の日本人が求めたのが「生存のための魔力」であり、現代の私たちが天皇に抱くのが「歴史の連続性への敬意や親愛」であるとするならば、それは、人間が成熟し、目に見える奇跡よりも目に見えない絆や象徴に価値を見出すようになった証かも知れない。
と、言っては強弁だろうか。
戦時中の天皇の政治利用は、万葉の民が抱いたピュアな畏怖を、近代国家の装置として再定義したものだった。と、これは筆者の歴史観。その歪みが、後年、この国を灰燼に帰した。歴史を強引に逆行させた先祖返りの代償にしてはあまりに大きい。
現代の日本人は、天皇を神として崇める必要はまったくない。ないが、万葉の歌人が感じた「尊い力によって守られている」という瑞々しい感覚までも忘れないといけないのか。一神教の神が人々の内面へと移り住んだように、日本の天皇もまた、呪術的な檻から解放されて、日本の文化という広大な野原へ居場所を移したのだ。
と、考えてみるのはどうか。
わが余命に、「神」なる言葉が浮かぶ。
ヒトとしての実体があろうがなかろうが、神なる響きは、時代によって変わるのである。されど、筆者(わたくし式守)は、自分を超える大きな存在には手を合わせていたい。その心根が、万葉の人々の心情を再現するまではできまいが、時空を超えて繋がる瑞々しい者でいられるのであれば。
式守操


