武田ますみ「野球の話」/『短歌往来』2025年11月号

『短歌往来』2025年11月号を購読。武田ますみさんの(今月の視点)「野球の話」をおもしろく読む。

「ベースボール」を「野球」と翻訳したのは子規だとずっと思っていたのだが、つい最近思い違いだと知った。

で、最初に野球と訳したのは、中馬庚(ちゅうまかのえ)という人物。

今年の東京新聞デジタル2月20日付、谷野哲郎記者による、とのこと

武田ますみさんは、「東京新聞さんの記事に感謝である」と。

この「野球の話」には、正岡子規の野球の話が他にも載っていて、上質のエッセイを読むような、それはたのしい(まことにたのしい)一文だった。

正岡子規は「捕手」だった。
捕手だったのか。そうか。当時の人々の捕手観はどんなだったのか興味がある。後世のように誰もが野球を知ってはいなかったにしても、野球をやっている人はやっている人として、自分はどこを守りたいかそれぞれおもいがあったと思うのである。
現代の野球では、捕手と言えば、打てる捕手が思い浮かぶ。また、司令塔として優秀であることも求められようか。
正岡子規は自ら進んで捕手になったのだろうか。で、打てる捕手だったのか。優秀な司令塔だったのか。
そんな文献があれば読みたい。猛烈に読みたい。
正岡子規が捕手だったことで、正岡子規の事績と現代の捕手観と照らし合わせて適材適所かも知れないとの印象を持つが、正岡子規と野球のいずれにも詳しい人はどんな感想になるのか。

武田ますみさんは、正岡子規の次の歌を引用なさった。

球及び球を打つ木を手握りてシヤツ著し見れば其時おもほゆ  『竹乃里歌』

あ、
ボールとバットを持って撮ってもらったのね。何を持って写真に写ろうかあれこれ迷ったのかなあ。
正岡子規は横顔だけの人じゃなったのか。
正岡子規が野球のユニフォームに身を包んで胸がときめいている気持ちに時を超えて交感してしまう。

少年時代が鮮やかに思い出された。と同時に、少年時代は二度と還らない日々ではないことを思えば、胸が痛くもなった。

武田ますみさんの一文に感謝である。

式守操