高島裕「あのころ花が見えてなかつた」内省を日常の風景に

あのころ花が見えてなかつた

ドアノブの形から呼び出す記憶 あのころ花が見えてなかつた(高島裕)

邑書林 セレクション歌人
『高島裕集』「東京山河」
(Ⅲ(2003.1-11) 旧居再訪)より

高島裕「あのころ花が見えてなかつた」内省を日常の風景に

このドアは、かつてここに住んでいた、親ある玄関か。で、ノブは、「あのころ」のまま、と。

「花」は実景か。
あるいは、
ここ「旧居」は、どれだけの価値があったか、その修辞としての「花」か。

何にしたって、ほんとうは見ていたのだろう、花を。
花は、生理的な記憶の中には、生きていた。今やっと、「花」に、はっきりと気がついた。

自分の迂闊に敢えない悔いがのぼることに、<わたし>は、無自覚でいられない

目つむれば

春の日は傷みのやうに降りそそぐ 目つむれば聴く昨夜(きぞのよ)の雨(高島裕)

邑書林 セレクション歌人
『高島裕集』「東京山河」
(Ⅲ(2003.1-11) ひとりの苑(その))より

高島裕「あのころ花が見えてなかつた」内省を日常の風景に

<わたし>は、ここに、天を嘆いてはいまい。

来し方に人生の流転があった。
との生な措辞は、この一首に見られないが、しかし、一過を待てば雲間より晴天がのぞまれる、そのような類の歌意とは思えない。
事実、ほれ、「傷みのやうに」と上句に。

ある年齢を過ぎれば誰にでもあろうが、来し方の言行の矛盾に苦しくなることがある

天は、しかし、何も授けてはくれない。

何を告ぐるにあらざれど

春の雪何を告ぐるにあらざれどわが上に降る声のごとしも(高島裕)

邑書林 セレクション歌人
『高島裕集』「東京山河」
(Ⅱ 第二歌集『嬬問ひ』抄 3))より

高島裕「あのころ花が見えてなかつた」内省を日常の風景に

春。
高島裕に、桜の花が空を舞うことで、「声」の感受はなかった。
雪だった。満天の春の散華だった。

天は、ここでもまた、何も授けはしない。
が、天は、人を、諫めることはある。慰めることはある。

されど

天は「声のごとしも」と。
はっきりと何々であるとの啓示ではないのである。
はっきりと答えを得てはいないのである。

されば

来し方のご自分の遍歴の、それを認めざるを得ない言行の矛盾に、歌人・高島裕は、苦しんでおられる。
と、決まった話ではないが、そのようにうかがえる。

内省というものを、日常の風景の中に、このように組み立て直し得た高島裕氏に、歌作の姿勢としても、その実人生でも、わたくし式守は、心より敬意を捧げる者である。

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