鈴木晴香「おやすみ、外部」短歌を始めた純粋なこころがある

短歌は内にいて外の広さを映せるのか

非常時に押し続ければ外部との会話ができます(おやすみ、外部)(鈴木晴香)

書肆侃侃房
(新鋭短歌シリーズ)
『夜にあやまってくれ』
((おやすみ、外部)より)

「外部」に「おやすみ」と言ったのである。

エレベーターの非常用ボタンの注意書きに「外部」とあった。だからそのまま「外部」と呼びかけた。「おやすみ」と。

四句までは、エレベーターの非常用ボタンの注意書きをそのまま写しただけである。
ここですでに何やらおかしいのであるが、わたしが、この一首に非凡をおもうのは、「外部」の感受である。

ここに魅かれる

「おやすみ」の時間であれば、これは、ここを降りれば自分の部屋があるエレベーターなのだろう。
すでに自分の身に戻りつつあることもうかがえる。
だが、そこもまた、「外部」ではないのか。

エレベーターだけが、「外部」と交信できるところなのである。
「外部」がいかに厚みがあるか、その表現に最適な斡旋が、「おやすみ」だった。

鈴木晴香「おやすみ、外部」

わたしはなぜうまい歌い手になれないか

これが「もしもし外部」だったらどうか。
エレベーターを降りて「ただいま外部」とか、箱の中をふりかえって「さよなら内部」とかだったらどうか。
閉まるエレベーターに「おつかれ内部」だったら?

いずれもだめである。
このイメージは、一言で言えば、詩にならないのである。
何よりつまんない。

わたくし式守は、真に詩として感受したとは言えない、むしろシュールなコントを歌にしようとしてしまう。

始まりは「Hello,World!」

お詳しい方は、ヘソで茶を沸かすことになりかねませんが、HTMLのこと。

HTMLの初心者向けのサンプルに、次のようなものが用意される。

<html>  
<head>  
</head> 
  <body>
<p>Hello, World!</p>
   </body> 
</html>

たとえばマイクロソフトのワードに「Hello,World!」と入力すれば、画面は、「Hello,World!」が表示される。

されど、インターネットとなると、画面は、この「Hello,World!」を、そのまま表示してはくれない。

インターネットの画面に「Hello,World!」を表示したいのであれば、HTMLという、上記のようなものを記述して、そこに「Hello,World!」を挿入しないと表示されないのである。

「Hello,World!」
サンプルには、どうもこれがいちばん使われているようだ。
誰かいい加減もっと他の言葉を用いてみてはどうか。

と思っていたが、最近、「Hello,World!」とは、何かを表現する護符であるかに見えてきた。

実際にアクセスされるか否かは別の話になるが、人の言葉は、現代では、地球のその裏側にも出現させることが可能なのである。
そりゃ「Hello,World!」だわな。

感受したものをデザインする

Hello,World!/おやすみ、外部
いずれもものごっつい7音だ。……

「Hello,World!」は、その文字の色を変えることができる。
その文字のサイズも変えらえる。
CSSという仕様書に、そうなるように指定すればよい。

Hello,World!

Hello,World!

かくして、「Hello,World!」の「World」をいかように感受しているか、それを、より深くまで掘り下げることができる。

短歌をデザインする

人は、インターネットで、「World」に呼びかける。「Hello」と。
HTMLの中で。
CSSでデザインして。

鈴木晴香は、短歌の中で、「外部」に呼びかける。「おやすみ」と。
5・7・5・7・7の定型の中で。
詩になるデザインをして。

始まりはいつも純粋

プロのWebデザイナーは、モノが売れるデザイン、とにかく楽しめるデザイン、そのいずれをも両立させるデザインをする。

しかし、いかに優れたプロも、始まりは、「Hello,World!」からだった筈だ。
やってみたい、と。

人は、始まりは、いつも純粋なのである。
純粋な夢で胸がふくらんでいた。
わくわくしていた。

Web言語に長けるに従って、あるいは、その才に不足を覚えて、それを、いつしか失ってしまうことはあっても。

鈴木晴香という歌人

ここでは「外部」のみを採り上げたが、その歌集を読めば、鈴木晴香がいかに優れた短歌のデザイナーかがわかる。

もとより好きや嫌いの主観的なものは読者によって分かれよう。
が、読む者にぐっと迫る何かがある歌人であることは、その歌集に明らかである。

わたくし式守は、鈴木晴香の、その「ぐっと迫る何か」は、永遠に失われない「Hello,World!」のこころだと思う者である。

だからたかだかエレベーターの非常用ボタンの注意書きに、「外部」の一語を見つけて、たかだか「外部」の一語を、こんな詩的なデザインにしてしまえるのである。

「Hello,World!」のこころはまだあるか

非常時に押し続ければ外部との会話ができます(おやすみ、外部)

この一首は、四句までは、よそから丸写しされたものであるが、こんな無機質な文章も、それを読むにおいて、鈴木晴香は、その端々まで怠らない女性なのだ。

この一首は才能か……。
違うと思う。

わたくし式守は、鈴木晴香を、稀代の才女だと思う者であるが、この一首に限っては、才能によるものではないと思う。

「外部」を、無限の時空として結句に収斂させ得た故は、歌を始めた純粋なこころを失っていない、この一点に尽きると思う。

「Hello,World!」のこころ、
そんなものが、わたしにもまだのこされているのか。
そもそも人間は、その人生で、この世界に、いつまで「Hello,World!」のこころをのこしておけるものなのか。

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