島田幸典「赤きハンカチ」落とし物を法律と短歌で読んでみる

落とし物のハンカチ

所有者を離れし赤きハンカチが路傍の柵に括られてゐる(島田幸典)

本阿弥書店『歌壇』
2017.7月号
「路傍の柵」より

どこかに遺失者がいるわけだ。
遺失者は、ここで、ハンカチが柵に括られていることを知らない。
いや、その所有者とやらが、たまたまこの柵に括ったものなのかも知れないが。

誰かが括った。
誰かが。

わたくし式守は、ここで、「遺失者」なんて語彙、あるいは用語、まあ何でもいいや、とにかく「遺失者」なんて言葉を用いた。

これは、「遺失物法」上の、法律の言葉だ。

この法律において「遺失者」とは、物件の占有をしていた者(他に所有者その他の当該物件の回復の請求権を有する者があるときは、その者を含む。)をいう。

遺失物法
(定義)
第二条 4より

要するに、落とし物についてのハナシだ。
で、落とし物を、法律は、こう念押ししている。

この法律は、遺失物、埋蔵物その他の占有を離れた物の拾得及び返還に係る手続その他その取扱いに関し必要な事項を定めるものとする。

遺失物法
(趣旨)
第一条より

でも、この一首は、こう始まっている。

所有者を離れし赤きハンカチが……

「占有を離れた」とは詠んではない

どこかのどなたかをちらっと思っておいでだ

ハンカチをほどいてしまえ、とはしていない

島田幸典なる<わたし>は、ここを、ただ通過した。
アタリマエだ。
赤いハンカチだろうが、エルメスのバーキン25だろうが、これを、わざわざほどいて交番に届ける酔狂な人がいるか。

エルメスのバーキン25だったら自分のものにする人がいるかも知れないが、でも。

でも、まあ、ここで、仮に、あくまで仮に、の話として、あ、落とし物だ、ってんでこれをほどいたとしようか。

「事務管理」と呼ばれるものに縛られることになる。

義務なく他人のために事務の管理を始めた者(以下この章において「管理者」という。)は、その事務の性質に従い、最も本人の利益に適合する方法によって、その事務の管理(以下「事務管理」という。)をしなければならない。

民法
(事務管理)
第697条 4より

島田幸典なる<わたし>は、路傍の柵の、ちょうどそこで、事務管理なんて真似はしなかったわけだ。

でも、こうして短歌にはしたのである

どこかのどなたかをちらっと思って

ちょうだいしてしまえ、なんてこともしない

島田幸典なる<わたし>は、この赤いハンカチをほどくことをしなかったが、ましてや、自分のハンカチにしてしまうこともしなかった。

なぜ?

アタリマエではないか。
それは立派な犯罪なのだ。エルメスのバーキン25でなくったって犯罪なのだ。

遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は、一年以下の懲役又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

刑法
(遺失物等横領)
第二百五十四条より 

が、犯罪になるとかならない以前にフツーしないであろう。

エルメスのバーキン25くらいになればわからないが、それだって、しない、と考えるのがおおかたの日本人だ。

不衛生だからだ。
誰のものかもわからないものを自分のものにすると病気になるかも、との考え方が、この国の民に、これは、ほとんどもう遺伝子として組み込まれているのである。

でもそれだけか?

それだけ?

括った誰かはわたくし式守です

島田幸典「赤きハンカチ」落とし物を法律と短歌で読んでみる

わたしは、清掃作業員である。
マンションの外周の清掃作業で、「占有を離れた他人の物」を路上に見ることは、枚挙にいとまがない。

赤いハンカチはどうする。
括る。
柵に括る。

そうせざるを得ない。
先の、誰のものかもわからないものを自分のものにすると病気になるかも、とはまた別の考え方があって。

警察署長に提出しなければいけないのに、とも思いません。

拾得者は、速やかに、拾得をした物件を遺失者に返還し、又は警察署長に提出しなければならない。

遺失物法
第四条より

要するに、交番に届けろ、というハナシだ。
エルメスのバーキン25であれば、交番に行く。

でもなぜ括る?

なぜ?

聖性

島田幸典「赤きハンカチ」落とし物を法律と短歌で読んでみる

読み返す。

所有者を離れし赤きハンカチが路傍の柵に括られてゐる(島田幸典)

どこかにどなたか、
所有者、あるいは遺失者がいよう。

いいのか。
ちりとりに掃いてしまって。

どこかにどなたかが、これを、今も探しているかも知れない。
この赤いハンカチは、おもいもふかく色を赤に染めているものなのかも知れない。

すなわち

聖性

島田幸典なる<わたし>だって、柵に括られた赤いハンカチに、聖性のごときが胸に生まれたのではないか。
歌にしたのもそのあたりなのではないか。

にしても

赤いハンカチだとさ。

チープでないかい

いいか、このアイテム。短歌として。詩として。

そんなことない、そんなことない

島田幸典なる<わたし>は、ここを、ただ通過しただけだ。
赤いハンカチを通過した時間ただ一瞬。

チープな赤いハンカチよ。チープな中高年男性よ。
されど、このチープを、誰が読み捨て得よう。
衛生や法律を超えた一瞬の聖性を。この聖性を歌にした<わたし>なる歌人のおもいを。

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