岡本貞子「一生働かぬ蟻」地球に生きる人間の自分を問い直す

働き蟻の条件

働き蟻のなかにも一生働かぬ蟻も居るなり地球上には(岡本貞子)

本阿弥書店『歌壇』
2017.5月号
「農業いちばん」より

「働き蟻」を名乗る資格のないやつなのである。
そんなことで働き蟻の社会の中でちゃんと生きていけるのか。親は心配じゃないのか。
わたしは心配してしまう。

なぜわたしが心配する

と、一読して、おもしろい、となったが、
この一首に魅かれたのは、おもしろいからばかりではなかった。

地球規模の話として

結句に「地球上には」と。

地球、
とまで言われると、サイズが人間大でも、大きな世界の話なのである。

であれば、働き蟻であろうが、一般の蟻であろうが、蟻のサイズだと、地球は、どれだけ広大な世界になってしまう。
ともなれば、働き蟻を名乗っておいて、働くことをしない働き蟻の一匹や二匹いてもおかしくない。

おもしろがることなどまったくない、働き蟻の、これはただただ例外なだけかも知れない

生涯にわたる話として

にしても「一生」だ。

誰に食わしてもらって生きているんだ。
寛大な働き蟻におあまりを願って、でも、負い目などないとか。

ああ、あいつはあれでいいんだよ

貢いでくれるやつがいるんだ

ぜって~いね~よ。

わたしは、この、「一生働かぬ蟻」がちっとも羨ましくなれない。

何て言ったらいいか
こいつ
やなやつだなあ

相手が蟻であっても

わたしでは、この、「一生働かぬ蟻」にはなれないなあ、という結論を得てしまったのだ。

改めて読み返してみる。

働き蟻のなかにも一生働かぬ蟻も居るなり地球上には(岡本貞子)

岡本貞子「一生働かぬ蟻」地球に生きる人間の自分を問い直す

まわりの目を気にして生きていてどうする、
ぬぁんて声をたまに耳にする。

しかし

気にしろよ、とならないか。
おまえは気にしろよ、少しは、と。

そのように生きることそれも一生など、こいつが何者かは知らないが、何様だ

地球規模で見れば珍しくない存在であっても、たかだか蟻程度の、あんたは、何様なんですか。

リンク