香川ヒサ「五十年前から通ふ郵便局」愛しくて泣きたくなる歌

この歌に没入してしまった

五十年前から通ふ郵便局遅くなりたる歩みにて行く(香川ヒサ)

ながらみ書房
『短歌往来』
2025年5月号
「赤い月」より

こういう歌は一読して好きになってしまう。

共に慈しみ共に顧みる関係がある。
円満な夫婦などはその例であろうが、たとえば会社で新卒社員の頃からずっといっしょに働いてきたとか。
人間関係なんて脆いところがある。が、だからこそ振り返るといつもその人が、なんて関係は、得難く尊い。

この一首に、筆者(式守)は、そのような尊さを覚えた。
と言っては、強弁になるだろうか。
なるかも知れない。
が、筆者は、この一首が愛しい。

人間の、その人生への敬虔な交渉を見る

郵便局がまだ存在していること

郵便局はまだ存在しているのである。
などと言っては、郵便局の関係者に無礼なことは承知しているが、郵便局にこんな趣旨を思うことは、世間の空気を反映していないとは言えまい。
貯金やかんぽ保険まで持ち出されればそうでもないが、郵便での通信が珍しくなっていることが一つ。で、そもそも人は、郵便局に、まず金融事業を思わない。

五十年の時間

半世紀である。そりゃ「遅くなりたる歩み」にもなる。
でも、<わたし>は、その郵便局にまた行くのである。
他の郵便局は使わなかったのか。他の郵便局はない地域なのか。

郵便局は、この半世紀で、郵政民営化の波にもまれた。
また個々には、おりおり改装もあったかと。

それは、<わたし>の心身にもいろいろあった筈で……、
となると、だ。
この郵便局と<わたし>には、昔も今もない。
時間という流れにおいて共にずっと現在だったのである。

愛しい

香川ヒサ「五十年前から通ふ郵便局」愛しくて泣きたくなる歌

この一首に、特別な修辞はない。結構もこの郵便局をまた使うこと五十年、ただそれだけである。

しかし、
筆者(わたくし式守)は、この一首が、大好きである。
それは、話を大きくすれば。人生すてたもんじゃない、というがごとき。

愛しくて泣きたくなった。

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