石川美南「また誰か借り出してゐる」石川美南のこの歌も好き

また誰か

また誰か借り出してゐる 図書館に一冊きりのあなたの自伝(石川美南)

本阿弥書店『歌壇』
2017.12月号
「あなたの自伝」
(「LAND」その10)より

天邪鬼な考えをするようで気がさすが、他の図書館に行けば、その自伝を、手に取れるのか。
ならば取り寄せという手段がある。
が、そうではないのではないのか。

「あなたの自伝」を読むには、きっとこの図書館だけが頼りなのだ。
この「図書館に一冊きり」であることを、そう言ってよければ、苦しんでいるのではないか。

初句と2句に「また誰か借り出してゐる」と。
この調べが、わたくし式守の心を、捉えて放さない。

先を越されている無念。独占欲。

「あなたの自伝」は自分こそがすこぶるよい読者であるとの自負。敵愾心。

その心情が、ほんとうはいかなるものかはわからない。
が、一首を読み始めた、たかだか5音にして、わたくし式守は、ある痛みを持ってしまう。

あなたの自伝

石川美南「また誰か借り出してゐる」石川美南のこの歌も好き

「あなたの自伝」だそうな。でも、「あなた」って誰よ。

自伝なんてものは、評伝なんかもまたそうであるが、事実を完全に復元できるものではない。
「あなたの自伝」に、<わたし>は、何を求めている。
いったいどんな人なのか、その自伝を、わたしも読んでみたくなった。

ついては、<わたし>の心情も、もっとよくわかるであろう

そして

この自伝は、<わたし>の他にも、求めている人がいる。
「あなたの自伝」は図書館の本なのである。
自分ひとりのものではない。自分ひとりのものにできないのである。

痛みが見えないか。

LAND

この連作「あなたの自伝」(「LAND」その10)に、次のような作品もある。

ディズニーを激怒させたる顚末の省かれてゐて 自伝とは花(石川美南)

悔しさを動力にして駆け抜くるコースターあり人生の暮れ(同)

石川美南の歌集を読破していれば、この「LAND」の意味することを、詳しく読み解けようが、わたしは、石川美南の歌集が手に入らない。

入手を諦めてはいないが、現在は、こんな理解にとどまっている。

この「LAND」は、ディズニーランド?

よって「自伝」は、ディズニー?

実際のところはどうよ。

そんなことは知らん

誰にでも「あなた」はいる

石川美南「また誰か借り出してゐる」石川美南のこの歌も好き

読み返す。
これで最後だ。

また誰か借り出してゐる 図書館に一冊きりのあなたの自伝(石川美南)

「LAND」が実のところは何であるかは保留にして、になるが、この一首は、これまでいくたりと読み返している。
読み返すこと何度目か、この一首に、多くの人が経験しよう痛みを覚えるに至った。

人生は、手の届かない存在に胸が張り裂けそうになることがないか。一目見ただけで瞼に溢れるもののある存在がないか。
が、その実体に触れることはできない。

その存在を実感できる方法を、人は、よせばいいのに探してしまうものなのである。

「あなた」によって

そんな「あなた」が、「図書館に一冊きりの」の本として存在していたらどうよ。
購入は叶わない。
他所からの取り寄せも叶わない。
なのに「また誰か借り出してゐる」としたらどうよ。

嵐のような勢いで胸の内を荒れまわるものが生まれてこないか。
すました顔ではいても。
ほんとうは。

石川美南「また誰か借り出してゐる」石川美南のこの歌も好き

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