五十嵐順子「書類袋持ちしまま会いに来し人が」揺さぶる短歌

短歌はこの人生を問う

書類袋持ちしまま会いに来し人がそれを抱きて帰りゆきたり(五十嵐順子)

ながらみ書房『I miss you』
(ルーペ)より

これ、これ、こういうの。
こういう短歌を、わたくし式守は、大好きなのである。

ある時空に、ふたりはいっしょだった。
でも、その時空の共有において、一体感がない。

結果、両名、ご自分の世界だけを包摂しておいでだ。

それは短歌だからである

五十嵐順子「書類袋持ちしまま会いに来し人が」

たとえば小説でも、こんな場面はあろう。

生活の動線が、ふたりに、交差していない。
そのような描写のキーアイテムに書類袋を映す。

しかし、この一首が非小説的なのは、<わたし>の世界がふっと通常の世界から離脱するところだ。
その離脱を、読者は、否応もなく体感する。

短歌上の体験は、文字を読むことで同じあっても、小説上の体験とは異なる。

心情は掘り起こさない

<わたし>は、書類袋に、お相手は仕事をしておられることがありありとなって、少しばかり神経のささくれだつものがあったのか。

仕事のついでならいいわよ、とか?
いそがしいのにありがとう、とか?

そんなこんなを、この一首は、不要としておいでだ。
不要も何も、小説じゃないもんなあ。

でも書類袋はクローズアップ

この一首に、これ見よがしな華奢な音階も色調もない。

でもおもしろいよなあ
ちょっと整頓しみよう

会いに来てくれた人がいる

書類袋なんて持っている

書類袋はそのまま持って帰った

短歌になるとおもしろい

短歌によって人生が問われる

五十嵐順子「書類袋持ちしまま会いに来し人が」

読み返す。

書類袋持ちしまま会いに来し人がそれを抱きて帰りゆきたり(五十嵐順子)

この一首は、まこと淡白である。

短歌とはなべてそうなのかも知れない。
そもそも二人しか登場人物がいない。

彼我の間に、本来は、さして懸隔なんかないのを、そこに、書類袋が、姿を現した。

書類袋なんてものに、自分の世界が、映し出されたのである。

わが人生に、恬として確かだった席が、ふっと浮き上がった。

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