古谷円「大根を抜きて揺らして」大根というハードボイルド

大根とセットの主婦のかっこよさ

大根を抜きて揺らして帰るとき息苦しかった昨日忘れる(古谷円)

本阿弥書店『百の手』
(簡単な人)より

どこをどう読んでも主婦であろう。
主婦である、との直截な情報は、どこにもないが。

初句にたとえば「主婦われは」としなきゃだめなのか。
そんな必要はない。

わたくし式守は、この一首を、一言、かっこいい、と思った。

なぜ?

大根とセットは不愉快か?

古谷円「大根を抜きて揺らして」大根というハードボイルド

不愉快な人はいよう。
大根とセットだよ、大根。

誰かの妻、誰かの母、それだけで、スーパーでお買い物をするのは、自分以外の誰なのよ、となっていることがある。

何それ。

大根くらいいくらだって買いに行く。
それがおまえの当然とされるのが腹立たしい。

なのに大根とセットでかっこいいのはなぜ?

古谷円「大根を抜きて揺らして」大根というハードボイルド

読み返す。

大根を抜きて揺らして帰るとき息苦しかった昨日忘れる(古谷円)

やっぱりいいなあ。

大根とセットにされる暮らしの中で、<わたし>は、「昨日忘れ」て、今日もこの人生を生きる。

かっこいいか~?

かっこいいじゃ~ん

果敢なお姿じゃありませんか。

果敢

大根とセットのかっこよさを整頓する

「息苦しい昨日」だった

「大根を抜きて揺ら」す今日がある

「昨日」を忘れられる

かっこいい~~

平凡の極みにかくも厚みをもたせて……、

おお、
大根よ、
ハードボイルド

「大根」は家の中に

大根を抜きて揺らす
抜きて揺らす
抜きて

「昨日」は息苦しかったそうな。

家の中でのこと?
家の外でのこと?

いずれであっても、「大根」は、今、家の中にある。
家の中から「息苦しかった」は消えた。

「息苦しかった」が、今夜やっと、家の外界で、砂のように眠りに落ちる。

人間は「息苦しかった」地層の上を生きているかに。

「大根」を買うこと

古谷円「大根を抜きて揺らして」大根というハードボイルド

<わたし>は、「大根」を買う係であるが、このあたりのことはいかににお考えか。

失望はあるか。
そも無関心か。

これはこれで誇りであることももちろんありだ。

人は、明日も、また生きる。
「息苦しかった昨日」がまたある人生を。

それを果敢に凌いで生きていく気概の鉄芯を、わたくし式守は、この一首に見た。
この鉄芯は、「大根」一つで、わたくし式守一人をこうも鼓舞した。

古谷円によって、わたくし式守は、短歌に、また新たに信頼を置いた。

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