
目 次
おもしろすぎる
われながら不器用なセロテープの貼り具合 宅急便に出しては来たが(久保田登)
ながらみ書房
『短歌往来』
2025年5月号
「窓を開ければ」より
1 2句目が字余り
2 初句と3句目に特別感がない
3 下句ではしたことがそのまんま
されど、この一首、筆者(式守)には、あまりにおもしろくて、おもしろすぎて、やがて粛然となった。
これをわが歌作のお手本に加えた。
ついては、わが短歌のモチベーションを、また上げることにもなって……
短歌の韻律
読み返す。
われながら不器用なセロテープの貼り具合 宅急便に出しては来たが(久保田登)
2句目が字余りであるが、初めて読んだ時は、まったく気がつかなかった。
「不器用なセロテープの」これ、11音もあるじゃないの。
字余りとか字足らずとか、短歌の韻律とは、どうも音数が合っているとかいないとかじゃないんだろうなあ。
緩急軽重のほどによっては、11音もあるのに、これを、
あっ、長っ、
とはならなかったんだからな。
筆者(式守)が迂闊なだけか
字余りをはさむ特別感のなさがまた
再び読み返す。
われながら不器用なセロテープの貼り具合 宅急便に出しては来たが(久保田登)
「われながら」か。いつもはこんなことないのに、との心情か。不器用なことは今に始まった話じゃないが今回もまた、との心情か。
受取人はそこをそんなに気にするかなあ。<わたし>が受取人の時に、「不器用なセロテープの貼り具合」で、お相手を減点するのだろうか。
要は、<わたし>は、ここ小荷物において、達成感を得られなかったのだろう。
「われながら」なる言葉を人はよく使う。
肯定的にも否定的にも使う。
とか
われながら雑なファイリングしちゃったなあ
なんて具合
「われながら不器用な」の連接で、微量の電流が、読者(わたくし式守)に流れた。
「われながら」と「貼り具合」にはまれて、「不器用なセロテープの」の字余りに気がつかなかったのもそのあたりか。
字余り(字足らず)があっても言葉次第でそれは定型維持なようだ
そして下句/そのまんま
三度(みたび)読み返す。
これで最後だ。
われながら不器用なセロテープの貼り具合 宅急便に出しては来たが(久保田登)
この一首をあれこれ検証してみると、下句がまた、魅力的なこと。
自分の美意識に反するが出しちゃったもんね、ま、そんなお気持ちかと。
にしても、ここには、短歌用に一つ修辞を凝らしてみようとした痕跡がない。
されど
結句の「が」に豊富な感情量があることは読み取れないか。
式守はこの「が」が胃の腑にすとんと落ちたものだ「が」。
こんな風に自分の歌も、と願った

頭の中を整理して再読してみると、連作「窓を開ければ」には、初読では読み流してしまった歌が、筆者に、改めて迫ってきた。
殊に次の二首。
おもしろくって、しみじみして、やはりお手本に加えてしまった。
神棚があつて仏壇のある暮らしいつしか神棚の消えてしまへり(久保田登)
過去に未練はないと断言できる人ゐるか居ないかゐる筈がない(同)




