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生きている証のスタンプ押すように母はポンポン杖つき進む(くりはらさとみ)
読売歌壇25.06.10
俵万智・選より
筆者(式守)は、この一首で、残された人生の問いの答えを、目の前の霧が晴れるように見せてもらった。
2
予後がどうなるか医師にもわからないが、残された命の意味を、人智を超えた存在に問うことがある。
3
診断はまだ確定していないが、パーキンソン症状で病院の世話になっている。
発症後まだ1年なので日常生活は維持できているが、画像診断では、脳内にドーパミンの集積が足りていない。が、心筋の血流や働きは正常だった。
手足の振戦の具合や非運動症状の拡がりや進行を合わせて考えると、典型的なパーキンソン病ではなく、たとえば(あくまでたとえば)多系統萎縮症や進行性核上性麻痺等の可能性もあろうか。もちろんこの先の画像診断によっては、一般的な(と言っては語弊があろうが)パーキンソン病なのかも知れないが。
いかなる病名の診断が下されようが、それによって一気に余命が短縮するとしても、運命であれば、筆者はこれを受け止める。受け止めるが、しかし、残される妻を、それ以前は介護を余儀なくされよう妻を思うと、なぜまたこのオレがこんな病気に、と愚かしくなっている昨今である。
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読み返す。
生きている証のスタンプ押すように母はポンポン杖つき進む(くりはらさとみ)
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「進む」において「スタンプ」と「ポンポン」の親和が効いている。
実際、そのように生きておいでの「母」でらっしゃるのであろう。
これは、歩いている姿が詠まれたものだが、母なる人の人生の歩みも詠まれている、と言えないか。と、わたくし式守は読んでみたが……。
6
「母」は歩行に杖が必要だ。
それはあたかも「生きている証のスタンプ押すように」見える母の人生に<わたし>が向き合っている視線がこの一首だと思えたのである。
この母と娘は、筆者・わたくし式守の問い、すなわち命の使い道をこの目に映し出してくれた。
7
不謹慎を承知で発言するが、母は、いずれこの世を去る。娘は残される。
しかし、今、ここに、母の命は、大地にしるしがつけられた。
では、このしるし、これはご自分が生きているそのためだけのしるしだろうか。
娘が歩行の介助をする母の一歩一歩は、娘とこの世を歩む命の尊厳なのではないか。
8
読み返す。
これで最後だ。
生きている証のスタンプ押すように母はポンポン杖つき進む(くりはらさとみ)
9
筆者・わたくし式守は、この先何が待ち受けていても、とにかく生きなければならない。
生きて、生きて、それがやがて残される妻の険しい大地の愛の刻印ともなるように。それが、いずれ夜を一人で眠る、からだがすぐに冷えてしまう妻の毛布ともなるように。
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