大島史洋の短歌より/施設の人たち/残された年月は/天命は

梅林に遊ぶ施設の人たちに介護士の声ひびきわたりぬ(大島史洋)

本阿弥書店『歌壇』
2016.4月号
「梅林の空」より

この「梅林」に、この「遊ぶ」に、わたしは、微笑むことができない。
幼い子がはしゃいでいる声がここに聞こえたのであれば、それは、わたしも微笑むことであろうが。
「遊ぶ人たち」から目を離せない介護士がここにあるのは、何も転倒防止のためだけではあるまい。

施設内ではない。
されば、介護の必要性は、その指数が、さして高いものではないのかも知れない。
だとしても、ここに付き添ったのは、団体旅行の添乗員ではないのである。

まだ幼い子がよく親の腕から抜け出そうとする。抜け出した先は長い未来があろうか。
が、ここ「梅林に遊ぶ人たち」はどうか。ここにいた介護士は、幼い子の保護者とは、色彩がまったく異なる。

介護施設の清掃に従事したことがある。
清掃を委託されているに過ぎないわたしの背中に、利用者が、家に連れて帰っておくれよ、と。
また、こんなことも聞かされたことがある。
助けておくれよ、この女に殺されてしまうよ。この女とは実の娘さんである。

まずい書き方である。
これでは、老いることとはアルツハイマー型認知症になってしまうこと、と言っているようでもある。
それは本意ではない。

利用者が介護のスタッフに説得されている場面もある。
今日こそはお風呂に入りましょうね。今日こそは歩いてみましょうね。
すると、利用者は、やだよお、と暴れるのである。どこにそんな力が残っているのか。何も無理やり連れ出そうとはしていないのであるが。
介護の仕事の人の忍耐たるや察するに余りある。言葉もない。

これは、捨て身の発言であるが、わたしであれば、ひっぱたいてしまいそうだ。
まあさすがにほんとうにそうはしまいが、でも、ほんとうにそうしないと断言できるか。
しないにしても、それは、倫理上の自制ではない。
十年もたてば、わたしが暴れる側にいることだってある。そこで、ひっぱたかれることがあったとしようか。残された人生は何。

70代で亡くなられる人を、現代は、まだ若いのに、との印象を持つ基準がある。
80代ともなれば、少しは、死のイメージが結像する。
となると、わたくし式守は、あと20年も生きりゃよく生きた方と言えそうだ。
だが、その20年の半分の10年は、介護施設で、入浴と徒歩訓練を拒絶して暴れる時間を生きるかも知れない。

先頭に引いた一首の、次の一首はこうである。

梅林にひびく「はいチーズ!」なる声身に沁みて空は青しも(大島史洋)

 “それ”がまだの人々を下界に、青空は、色が深く澄んだ美しさを保っている。

このわたしに残された年月は?
何ができる? わが天命は?

時とはなぜこうも非情なのか。

この連作「梅林の空」は、こんな一首もある。

もうすこしかしこかったとおもうけどしかたがないねここまではきた(大島史洋)