穂村弘『短歌のガチャポン』穂村弘の宿命/あとがきの美しさ

小学館の穂村弘『短歌のガチャポン』は、紹介されている作品がどれもたのしく、順々に、するするするっと心地よく頭に収められた。

氏は他にも類書があるが、今回の『短歌のガチャポン』は、その「あとがき」で、穂村弘にこれまでうっすら思ってきたことを、ようやく闡明できたことがある。

その前に、アンチ穂村もいる、ということ。

プロパーな歌人はさすがに、穂村弘の実作に、これでいいのか、とする根拠を、ご自身の短歌観に根ざして説明なさっておいでである。筋の立たない言いがかりではないわけだ。

が、ネットにおける、アンチ穂村である発言は、ここにいちいち引用はしないが、まずどこがいいのか、と。その一点は、読む人次第であろうが、しかし、年少の客気に逸っての発言でもないのである。穂村弘がありがたがられる物件であることがただいまいましい個人感情の印象しか持てないことがある。

わたくし式守は、穂村弘を敬愛すること人後に落ちない自負があるが、例の「どこがいいのか」は、実は、ないこともない。

ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり(穂村弘)

沖積舎『シンジケート』

一言、わからない。この歌の細評はいくらか読んだが、それでもわたしにはやはりわからない。

「春の夜」の「春」が、「は」音の連なりに寄与しているとしても、ここに、痛みや悦びを、わたしでは得られない。

しかし、たとえば次の作品ならどうか。

階段を滑り堕ちつつ砕けゆくマネキンよ僕と泳ぎにゆこう(穂村弘)

東京堂出版
『現代短歌の鑑賞事典』
馬場あき子【監修】
穂村弘・<秀歌選>より

マネキンといくら泳ぎに行っても、この世界と調和する将来は、得られようわけがない。

が、作中の<わたし>に、わたくし式守は、日常から切り離されたところでまた巡り合いたいことを、その目へこの目で伝えたくなるのであるが。

もう一首。これはどうか。

約束はしたけどたぶん守れない ジャングルジムに降るはるのゆき(穂村弘)

『同』<秀歌選>より

他の人に理解されない孤独が、この人(穂村弘)に、どれだけあったんだ。

ジャングルジムでひとりで遊んでいる方がいい子がいてもいい。それもまた個性だ。
が、つまらなかった約束をたくさんを経験して、子どもは、自分に合った友だちを見つけられるようになるのである。
その経験値を上げられない。

結果、将来を無難に游泳する自信は、ますます遠のく。

それを、自分の将来を道連れに、穂村弘は、どこまでも、どこまでも孤独に依存した。どうしても逃れられない宿命がそこにあった。

一人っ子であった、としても、穂村弘に、孤独は、与えられた状況ではなかった。強制ではなかった。
が、穂村弘は、つい孤独に落ち着くことを自認して、孤独に決然性を認め得る頭脳があった。言葉があった。言葉を持つと、自分を受容して、時には、外界と調和できることを知った。

言葉と手を携えると、悪癖にも見える孤独も、これを相対化できた。孤独を善用できる力をつけられた。

穂村弘は、わたしの2コ上のお兄さんである。この道の大先輩である。何より雲の上の存在なのである。

しかし、そんな関係性などいったんどうでもよくなって、その孤独の声を、しばらくしずかに聞いてしまう。胸のうちに慰めの言葉を探してもしまう。

穂村弘は、エッセイの妙はまた別の話として、その短歌の実作は、わたくし式守に、娯楽ではないのである。

階段を滑り堕ちつつ砕けゆくマネキンよ僕と泳ぎにゆこう(穂村弘)

約束はしたけどたぶん守れない ジャングルジムに降るはるのゆき(同)

アンチ穂村にそれはないわけであるが、ある種の人に、穂村弘の短歌は、短歌の価値の交感性の指数が低くない。そして、その交感は、何も若い人を相手に限った話でもないのではないか。

穂村弘が青春の文学だとはわたしには思えないのであるが。

うかうかしていたら50になった者にも、成長の困難は、これを覚えることはある。人生から降りてしまった中高年にも、春をおそれることは、少なくなくあるのである。

さみしくてたまらぬ春の路上にはやきとりのたれこぼれていたり(穂村弘)

東京堂出版
『現代短歌の鑑賞事典』
馬場あき子【監修】
穂村弘・<秀歌選>より

わたしもそうであるが、穂村弘は、80年代のバブル期に若者だった。
新しい春に、この国がもっと明るく、もっと富むことを期待した世代ではない。
流血を厭わないで大きな機構と闘うことを定められた世代でもない。

巷に末端消費材は満ち溢れていても、いつの日か、高層建築に飲み込まれて、荒涼たる退屈な時間を、無理に明るく過ごして、その明るさに疲れ果てた世代なのである。

そのような時代を負った人生が貼り付いた「春」とも思えば、わたくし式守に、穂村短歌も、正統的な近代短歌の先に位置付けられるのではないか、との考えがある。

ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり(穂村弘)

わたしには難解な、この有名な一首も、ほんとうを生きてきたとは言えない、無反省なバブル世代を活写している作品なのかも知れない。

穂村弘『短歌のガチャポン』に「あとがき」がある。

穂村弘はまず塚本邦雄の一首を引いた。

明日より春休み無人の敎室に靑き白墨干菓子のごとし(塚本邦雄)

塚本邦雄『豹變』

<「墨」と「邦」は旧字>

この歌はどこからやってきたのだろう。
(中略)
無人の教室に足を踏み入れた時の不思議な感覚が甦る。
(中略)
役割から解放された白墨もリラックスしたのか、まるで干菓子のようだ。作中の<私>が立ち去った後、教室は本当の無人となる。明日から学校は春休み。黒板の日直の名前はそのままだ。

小学館
穂村弘『短歌のガチャポン』
「あとがき」より

この教室に、穂村弘は、誰かといっしょにいない。場所を校庭に移してもそれは同じだ。

校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中が夕焼け(穂村弘)

沖積舎『ドライ ドライ アイス』

宿命のようにひとりでいる穂村弘は、しかし、この教室で、あるいは校庭で、既にして、まだ誰にも姿を見せていない未来が、その身に生まれつつあったのではないか。まだまだ洗練されたものになっていないが、言葉というものを、地に、営々と埋めていたのではないか。

階段にマネキンを見て、ジャングルジムに雪を見て、孤独の風に言葉を洗っては、しかし、言葉は地に落ちるばかりだった。
そして、いつまでも子どものままではいられずに、穂村弘もまた、高層建築に飲み込まれた。

が、かつて地に埋めた言葉たちは、穂村弘ご本人もそうと知らない広さで、地に、確かな根を張っていたようだ。

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『短歌のガチャポン』の「あとがき」の、この美しい文章は、穂村弘には造作もないことだったか。
そうかも知れない。しかし、これまでがこれまでだったのである。

市井の一人として、市井の人と交感できる力を、なぜこうも育てられた。

その力を獲得しないことには生き延びられなかったからではないのか。大人になればなるほどに、階段にマネキンを見て、ジャングルジムに雪を見るような人を、世俗は、容易に容認しないのである。

豊かになったのに飽くなき合理化を推進する国は、階段にマネキンを見て、ジャングルジムに雪を見るような人に、大人になっても酸欠世界なのである。

<酸素>とは何なのか。現在の我々の世界が酸欠状態に
(中略)
愛や優しさや思いやりといった人間の心を伝播循環させるための何か
(中略)
愛や優しさや思いやりの心が、迷子になったり、変形したり
(後略)

河出文庫
穂村弘『短歌の友人』
第3章(酸欠世界)より

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穂村弘のエッセイは、たしかにたのしく、そこで、社会に不適応の自分博覧会を開催しておいでだ。
その饒舌な告白は、超越の晴れやかさで、読む者の手足を伸ばす。

ある種の人は、ここにある、自分と同じ不安があるが、しかし、自分にはまねできない生き方に慰謝されて、将来に希望を持つのである。

エッセイから短歌に目を移せば、砕けゆくマネキンを泳ぎに誘う姿やジャングルジムでひとりで遊んでいる方が楽な姿の穂村弘がいる。なに、穂村弘に、エッセイも短歌も地続きではないか。

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穂村弘の短歌の「どこがいい」、との声が風に聞こえる。
なるほど。それもあろうか。

しかし、穂村弘は、虚名の大官ではない。
これまでがこれまでだった。成功者の椅子にふんぞりかえっていられる男ではないのである。

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