式守 操

三井修「少年と少女の声に」伸縮自在の<わたし>外延である

生きている内と外との呼応 少年と少女の声に高低のわずかにありてわが前後ゆく(三井修) 角川学芸出版『海図』(筑波嶺)より 一読して清爽の気に搏たれた。 「少年と少女」が前方をこっちに歩いてくるのか、あるいは、背後から抜か 三井修「少年と少女の声に」伸縮自在の<わたし>外延である

糸川雅子「石けりの石わが影のなかを」ありのままのすがたを

ころがる石を詩として拾う 夕暮れに子らが蹴りたる石けりの石わが影のなかをころがる(糸川雅子) 砂子屋書房『糸川雅子歌集』/『水蛍』(日記)より たとえば、歩道を歩いていて、誰かが足でちょっとどかした空き缶がころがる音がき 糸川雅子「石けりの石わが影のなかを」ありのままのすがたを

橋本喜典「この日の三度目を」結句をいかに魅力的にするか

迷惑電話に腹が立っただけの話なのに 勧誘の電話この日の三度目を下ろしてひとり怒りつぶやく(橋本喜典) 本阿弥書店『歌壇』2017.2月号「天地」より 迷惑電話が腹立たしい。要は、そういう内容だ。それだけだ、とも言える。そ 橋本喜典「この日の三度目を」結句をいかに魅力的にするか

西行「果てはいかにか」短歌のために徒労を生きてみる覚悟を

西行のこの歌が好きである 行方なく月に心の澄み澄みて 果てはいかにかならんとすらん(西行) <山家集353> この一首を、恋の歌、とする向きがある。また、朝廷に心をのばしている、そういう読みもある 数多の解釈がある、それ 西行「果てはいかにか」短歌のために徒労を生きてみる覚悟を

石川啄木「われよりえらく見ゆる日よ」千葉聡に相談した彼女

千葉聡もまたそうだった 『「詩客」短歌時評』というブログがある。 その短歌時評の155回は、「歌人を続ける、歌人をやめる」とのタイトルで、歌人をやめようと思っている大学生歌人の話が載せられていた。(2020.05.06) 石川啄木「われよりえらく見ゆる日よ」千葉聡に相談した彼女