島田修三「感じやすいお年ごろ」/『短歌往来』26年7月号

『短歌往来』2026年7月号を購読。島田修三さんの連載エッセイ(遠い人、近い人115)「感じやすいお年ごろ」をおもしろく読む。

島田修三氏は、まず日高堯子さんの歌を引く。

しやくやくの花見をりしがとつぜんに怒気にかられて夫家を出づ

『日在浜』
(26年度の前川佐美雄賞受賞歌集)

老齢ゆえに自分が家族や社会から員数外として軽視阻害されているという無意識の危惧や不安や孤独感が、老人を切れやすくするのではないかと経験的に思うようになった。

島田さんは、ご近所の郵便局で、白髪の七十代の男性が若い女性局員を怒鳴りつけているのを見た。
いたたまれなかった、と。
その気持ちはよくわかる。

その女性にも気の毒だが、その男性のお年寄りも気の毒になる。
その女性が、仕事として明らかに落ち度があれば別だが、このじいさんは、書類不備だったそうな。
いいですよ、書類不備でも進めちゃいますよ、なんて仕事ぶりだったらそっちの方が問題だろう。
が、このご高齢男性にも同情を禁じ得ないのはなぜ。

筆者も還暦を過ぎて、年寄りというほど年寄ではないが、やはり老いた。
怒りっぽくなったことを、自分で不思議に思いつつ実感することが、最近は、やたらと増えたのである。

温厚な人だったんですよ、あたし。
自分で言ってしまうが。

このエッセイの結び近くに、島田さんは、「切れやすい爺さんが増えたような気が」と。
それを自戒としておっしゃっておられる。

ある病になって、脳について少し勉強している。
人間、加齢とともに、前頭葉の萎縮が進む。脳のブレーキが利かなくなるわけだ。
そしてセロトニンの減少なんてことも。幸せのホルモンですね。

島田さんがそこで体験なさったことが、筆者には、とても他人事ではない。たかだか60ちょっとであっても。

予想はしていた。が、その予想をはるかに凌駕していたのだ。
加齢とは喪失の連続だったのである。
加齢とともに、まず仕事で若い時のような立場ではなくなる。
体力を喪失する。視力も聴力も衰える。

前頭葉の委縮に悲哀のストレスが重なるのである。

先の、島田さんがおられた郵便局。
ここで爺さんは、自分が被害者だと確信しておいでのようだ。
これがまたまずいことを増幅させる。

泣き寝入りするのであればそこで終わるが、相手を正そうとすると、その大義名分によって攻撃性は何倍にも膨れ上がるのである。
快楽物質が出ているのだ。脳の罠だ。

じいさ~ん、気をつけよ~ね~。

島田修三「感じやすいお年ごろ」、まことにおもしろく、されど、かなしいエッセイだった。

さて、
島田修三氏がこのエッセイに引いた一首にもう少し踏み込みたい。

読み返す。

しやくやくの花見をりしがとつぜんに怒気にかられて夫家を出づ(日高堯子)

芍薬は大輪で妖艶でもある。そんな花をせっかく二人で見ていたのにこうだ。
芍薬の鮮やかな色彩がまた心憎い。怒気の源はこれだったか、ともなるのである。

「しやくやくの花見をりしが」の静謐な時間は美しくもあった筈だ。
が、そこに、「とつぜんに」という言葉が鋭く差し込まれた。

もう一点。「怒りにかられて」ではないこと。
これでは主観だ。夫婦喧嘩だ。
そうじゃないのである、この歌は。

客観的に「怒気にかられ」た、と。理解不能の謎を見たのである。

式守操


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