若者の生き方そのものの短歌/『短歌往来』2026年6月号

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『短歌往来』2026年6月号を購入。
「今月の新人」をおもしろく読む。

三重濃厚珈琲さんの連作「愛込町」の紹介。
・筆名です。
トリプルエスプレッソさんと読みます。

短歌歴1年、1990年3月生まれ



連作に添えた
プロフィールより

連作「愛込町」より一首引く。

ブリーチパーマくり返した二十代すこしねじれた白髪垂れたる(三重濃厚珈琲(トリプルエスプレッソ))

プロフィールから逆算すれば、10年くらい前の話だろうか。
セルフプレゼンスとしてがんばってブリーチパーマにしていたのに、白髪が垂れていた。それもくり返していた。
あるいは、こうか。
二十代はああまでしていたのに、今、そのせいでか、ねじれた白髪になっている。

いすれにしても、ここには、青春時代の、誰もがほんとうはトホホなことをしでかしていることが、髪のおしゃれで表現されているように思える。

が、これ、黒歴史の歌じゃないな、と思えた。

「すこしねじれた」は髪の毛だけでなく、生き方や内面にも及んでいないか。
二十代の過剰な自己表現(ブリーチパーマ)が、現在の身体(白髪)に物理的なダメージとして残っている残酷さと愛おしさの混合。

まっすぐに生きてこられなかったのか。あるいは、敢えてまっすぐに生きてこなかったのか。
三十代の現在に内面的なねじれが、ブリーチの代償である「ねじれた白髪」で身体に彫り込まれているような生々しさに愛しくなる。

そこに、結句の「垂れたる」である。
この「垂れたる」が、この歌の魅力を跳ね上げていないか。
力なく下に「垂れている」状態なのだろう。上句では、激しいブリーチのエネルギーがあるのに、下句はエネルギーが枯渇している。
この熱量の落差が、青春の終わりをリアルに伝えていないか。

「ブリーチパーマ」なのであれば、金髪や派手な原色、且つ人工的で過剰な色彩が想起されるが、現在は、白髪だ。
色彩の喪失だ。
あれほど色と型にこだわって自己主張していたのに、いまや無彩色の、しかもねじれた髪を垂らしているのである。色の盛衰が、この歌は、切なく詠まれている。

それはもう、作者の青春のクロニクル。

青春は切なく、しかし、読後感の愛しいいいお歌なのではないかと。

式守操