黒木寧々さんと吉田隼人さんの短歌/『短歌往来』26年5月号

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『短歌往来』2026年5月号の今月の新人をおもしろく読む。
黒木寧々さんの紹介。連作「剥離」掲載。

今までは他人の作った花束を見るだけでも十分に慰められていたではないか



  連作に添えた
エッセイより

連作「剥離」より一首。
(筆者(わたくし式守)に衝撃的な一首だった)

フュマージュ  くちびるまでの柔らかさを知りながら霧に手をつないだ(黒木寧々)

フュマージュとは、シュルレアリスム(超現実主義)の画法である。
ろうそくやランプの炎の煙(煤)でキャンバスをいぶして絵を描く。

フュマージュの画面に広がるグラデーションは、まさに「煙」や「霧」そのもの(私的解釈)である。
実体として固着しているように見えて、触れれば消えてしまうような不確かな素材なのだ。

この技法は、計算通りに描けない。立ち上る煙の偶然の揺らぎから形を見つけ出す。
キャンバスの煤のなかに、かつて愛した人の「くちびる」の柔らかさの記憶が、幻影のように浮かび上がってきた瞬間が詠まれたものだろうか。

フュマージュは、いぶした煤のままだと簡単に剥がれ落ちてしまおう。

この一首の「フュマージュ」は、未完成のままである可能性もある。
この歌のなかで<わたし>は、「霧に手をつないだ」と。
もしもこの「フュマージュ」が未完成のままだとしてみる。直接手を触れる(手をつなぐ)ことは、その瞬間に、この絵画は崩れてしまうのである。

筆者にはこう思える。
触れたら消えてしまう(未完成なので)と分かっているのに、それでも触れずにはいられなかったのだ、と。
愛おしさと絶望が混在していようこの行為に、読者たる筆者は、知らず目を閉じた。

あまりの痛ましさが美しく目を開けていられない。

話が前後するが、<わたし>が描いているのか、あるいは、愛する人が描いてくれたものなのか。
そこをはっきり詠まなかったことが、この短歌の魅力を跳ね上げている。

【<わたし>が描いている】
<わたし>がろうそくを手に、亡き人(あるいは去った人)を想ってフュマージュを描いている、と読んでみる。
追憶の行為であると。
眼前に現れた霧のような煤のなかに、かつて知っていた「くちびるの柔らかさ」を思い出した。不確かな画面(霧)とわかっていて、そっと手を重ね合わせてしまったのであろうか。

【愛する人が遺した絵を<わたし>が見ている】
かつて愛する人が描いてくれたものだった、と読んでみる。
その人の遺した未完のキャンバスなのかも知れない。が、これを描いた、愛する人はもう「霧」の彼方へと消えてしまった存在。
されど、誰がこれをどれだけわかろう。この絵画の質感を。
相手の「手のぬくもり」や「くちびるの柔らかさ」がまだ生々しく残っている。
遺された絵に向かって手をつなぐように触れないではいられない。

大学生の頃、吉田隼人『忘却のための試論』を読み衝撃を受ける



  連作に添えた
プロフィールより

季節ごときみはほろびて梅雨明けの空はこころの闇より蒼し(吉田隼人)

喪失の痛みのなかで詠まれた、あまりにも峻烈で美しい歌である。

「こころの闇」と比較すれば、この世界のあらゆる光は明るい(あるいは明るく見える)のは当然である。
しかし、その明るさの比較に先があるのだ。

この空の蒼さは、まるで作者の吉田隼人さんを拒絶しているようではないか。
明るさが暴力になる人生がこの世界にはあるのである。
空が蒼ければ蒼いほど自分の闇が際立つことが。

この対比による痛みの増幅は、黒木寧々さんの歌に通底していないか。

フュマージュ  くちびるまでの柔らかさを知りながら霧に手をつないだ(黒木寧々)

「くちびるの柔らかさ(生々しいまでの愛の記憶)」は、あたたかく親密な光のなかで思い出せるがゆえに、今目の前にある「霧(冷たく不確かな現実)」の寂しさは耐え難い。

吉田隼人さんは、「季節ごとにきみはほろびて」と。
かつてありし幸福な時間は残酷に持続している。
季節が巡り、梅雨が来て、夏がまた来た。喪失を体験した者に、愛する人が死んだ(ほろびた)事実は、その季節の情景とともに幾度でもリフレッシュされる。

時間が進むことは暴力なのか。

黒木寧々さんは、「(柔らかさを)知りながら」と。
記憶のなかの「くちびるの柔らかさ」は今もあざやかに存在している。
季節や芸術のなかに何度も立ち現れては、そのたびにまた失われる。

「梅雨明けの空」や「フュマージュ  くちびるまでの柔らかさ」、この世の最も美しいフィルターを通してしか、自らの孤独を正確に測れない。
恋人の存在をはっきり捉え得た美しい確信は、誰しもが持つ青春の断片の筈なのに、錯覚であることを残酷なまでに突き付けられる。
その表現はもはや執念である。
この執念が、筆者(わたくし式守)に、痛ましいほど悲しく、されど、目をそらせない。

われわれは愛する人が遺してくれた世界をまだまだ生きるしかないのだと。

式守操