意識のレンズと破調/『短歌往来』2026年4月号/鍵井瑠詩さん

目安: 約2分

『短歌往来』2026年4月号の今月の新人をおもしろく読む。
鍵井瑠詩さんの紹介。連作「花売りの荷車」掲載。

目のまえの景色が、唐突に輝きだすことがあります。それは、心の片隅で新しい言葉が紡がれたから。



連作に添えた
エッセイより

連作「花売りの荷車」より二首引く。

六月の風を輪切りにして覗く 江ノ電に揺れる紫陽花と影(鍵井瑠詩)

花を花束のままにしておく冬の星はどう結んでも君になる(同)

映像の美と季節の質感が鮮やかである。
「風を輪切りにして覗く」と。目に見えない「風」を、ある一瞬スパッと切り取って、その時空をクローズアップして見つめた。
風は絶え間なく流れる時間の連続体なのかも知れない。
「江ノ電」は走っていた筈だ。が、時空を真横から切り落とした(すなわち輪切りにした)ことで、「江ノ電」は、「紫陽花」と「影」とともに静止画になった。

平易な「揺れる」。これがまた秀逸だ。
6月の風は、たとえば5月の風のようにさわやかとは言えない。梅雨の湿気が風に重みと厚みを持たせるのである。風という時空に質感を生み出している。

鍵井瑠詩さんは、ただ景色を眺めてはいないのである。意識のレンズのピントを、特定の時空に鋭く合わせられるらしい。

かなり破調である。でも、これが短歌であることはちゃんとわかる。

本文音数
花を花束の5→8
ままにしておく
冬の星は5→6
どう結んでも
君になる7→5

さて、
「花束」は、「君」からか。「君」に渡せなかったものか。
花瓶に活けないらしい。星座を人の手で動かせないように。
冬の星座はどこをどう象ってもやはり「君」にしか見えない。
と、読んではみたが、どうも理に落ちているような。

因果関係でまとめると、この歌のどこかひんやりとした触感と圧倒的な抒情の揺らぎがこぼれ落ちそうだ。
以下、この歌を、その「理」からの解放を試みたい。

〇  「時間」は凍結された

花束をバラさず「そのままにしておく」のは、花束がそのままの形で美しく枯れていく時間を受容することだ。
上の「江ノ電」のような歌を詠むお人がただのズボラで放置したとは思えない。この歌によって、枯れゆくものの肯定を思ってもみた。
結果、永遠に変わらない星座と対比される。星座こそが「君」だ。

〇 「結ぶ」の多様性

「どう結んでも」と。
この「結ぶ」には、

と、まあなんてことはない。結局は、「君」にたどり着くのだ。

人は、殊に若者は、世界のすべてが「君」という終着点に連行されてしまうのである。逃げ場はない。

〇  なぜここまで破調

あふれる感情は、定型という器を破壊してしまったのではないか。
その気になれば定型に収めることもできなくはないが。

「冬の星はどう結んでも君になる」と。
行儀のいい5・7・5・7・7の調べに収めてしまうと、星を「どう結んでも君になる」という恋愛のさなかのバグは、きれいに片づけられてしまうのである。
結果、「君」への制御できない心の乱れは、既に還暦を過ぎた筆者にも、心の奥深くに刺さった。

式守操