
『短歌往来』2025年5月号の「今月の新人」をおもしろく読む。
三井基史さんの紹介。連作「砂の降る街」掲載。
連作ももちろんおもしろく読んだがその前に……。
1995年生まれ、長野県出身。製薬会社勤務。
2023年2月12日に丸善本店で短歌に出会う。
わたしはこの青年とこの連作に好感を持った。で、こんなことをわざわざ書くもんじゃないとわかっていて書いてしまうが、好感を持たないでいられないことに、こんな私的な背景があるのである。
95年生まれ、と。言葉を失う。95年と言えば、わたしと妻が結婚した年だ。ハネムーンベイビーがいれば、この写真くらいの子がいてもおかしくないのである。
(昭和と違ってハネムーンベイビーは祝辞ではなくなった現代であるが)
そうと思うと、お写真の、マイクを手に持つ、どこかの若き市長にも見える青年が愛しくもなる。
睦月都さんの歌に没入してうっとりとした時に、睦月都さんの生まれた年を調べたことがある。平成3年のお生まれだった。余談の余談でこれも大人げない要らざる話であるのはわかっているが、やはり言葉を失ったものだ。平成3年と言えば、妻と出逢った年だ。妻が新入社員としてわたしのデスクの隣に座った時にまだオギャーだったわけだ。お母さまのおなかの中だったのかも知れないが。
時の経過をおもうと平衡感覚が狂う。
(ほんとうです)
ということで、この年代の若き歌人たちは、その人がこの道の大先輩でも、わたしに、愛しくなることがよくある。
さて、連作「砂の降る街」より二首。
タクマラカン砂漠より来し黄塵の旅路は我の肺胞で尽く(三井基史)
何かしらタイムリミットの迫りたるような心地の砂の降る街(同)
タクマラカン砂漠より来し黄塵の旅路は我の肺胞で尽く
砂にとって<わたし>は何。ほんとうに何。
「我」の立つところ、砂の飛来を防ぐものがない。たとえば防砂のための林がない。砂が風に乗って騒ぐ音がうるさい。これを、三井基史さんは、「黄塵の旅路」と表現したわけであるが、そのゴールが<わたし>の肺胞とは。「砂漠より来し」砂は肺胞が目的地だったが如し。
タクマラカン砂漠の極小の一地点と<わたし>の肺胞の点と点が線で結びついているようにも思える、このように詠まれてみると。されば「黄塵」に逆らえるわけがない。肺胞は目的地なのである。砂は何が何でも目的地に着こうとする。
ように読めた。
これが一つ。
もう一つは「タイムリミット」のこと。
何かしらタイムリミットの迫りたるような心地の砂の降る街
その地は、あるいはもっと大きくこの星の終末が近い予感のようなものか。
あるいは、こうも読めた。
作者・三井基史さんの父の年代であれば、残された時間が短い、との修辞にもなろうかのもの。ご本人の年代にあっては、なんだか早くしないと間に合わない、とかの。その間に合わないはたとえば何に間に合わないかわかっていないのになんだか間に合わない、なんて心情。
「タイムリミット」の斡旋によって、露骨ではないが、焦燥感を隠しおおせなくなった。
いい歌だ、と思った。
「タイムリミット」の後は、<わたし>に、あるいは三井基史さんに、いったい何が待っているのか。それはわからないのではないか。それが鮮明に見えていれば、「タイムリミット」後の覚悟を決めている心情が既に立っていると思えるのである。
短歌的にスリリングな体験ができた。三井基史さんにおかれましては今後もどうぞ佳きお歌を。
ただ、まあなんだな、ここでこうも言いたくなる。ご無理なく、と。三十歳ちょっとともなれば、職位は無関係に、仕事は増えて、責任も重くなる。短歌との両立を応援いたしております。わがハネムーンベイビーではなけれど切に。切に。
式守操