
『短歌往来』2026年3月号を購読。喜多弘樹氏のエッセイ「女人禁制」をおもしろく読む。
山伏は金鉱脈を探し当てて一儲けしようとたくらむ輩だった説には驚いた。が、女人禁制だったことでは、もっと驚いた。「女人禁制」というものに、筆者はいかにひょうろくだまか、と思った。
不都合な事実を知らないままでいてもいい考え方に「寝た子を起こすな」との言葉をあてることがある。寝た子は起こした方がいいな。
不都合な事実をめぐる現代の議論は、単なる「差別か伝統か」という対立を超えないでは、解決されないだろう。
女人禁制は特定の場所を聖域として区別する「結界」の思想に基づいている。
月経などを「気が枯れる(汚れる)」と見る意識は、酒蔵の歴史にもあるが、これは何も衛生上の不浄ではなく、神聖な空間のエネルギー(気)を維持するための「忌み」というシステムとして認識されているらしい。
福岡県の沖ノ島(世界遺産)では、女人禁制への反発や保全の観点から、2017年以降、男性も含めた一般人の上陸を全面禁止する判断を下した。「男女平等」の問題を、聖域の厳格な保護という形で解消したわけだ。
この判断を、筆者は、否定する者ではない。が、足して2で割ったようなありように隔靴掻痒の感は拭えない。
フェミニズムの視点では、女性が排除される空間が存在すること自体が構造的な差別である、となろうか。
大相撲での女性の救命措置をめぐる騒動があったが、人道との対立は、女人禁制の議論を加速させた。
という推移を、筆者は、未来の男女のあり方のために歓迎するが、いかにも卑近な例で気がさすが、女子トイレに男子が入ってもいいとか、女子更衣室に男子が入ってもいいとかを本気で議論しているのを見聞すると、もうどのようにでもしてくれ、ともなる。それが本音として。
喜多弘樹さんのこのエッセイで筆者が感動したのは、次の逸話だ。
和泉式部が熊野詣の直前に生理になってしまった。
晴やらぬ身のうき雲のたなびきて月の障りとなるぞかなしき(和泉式部)
すると熊野権現が夢に現れて返歌があった。
もろともに塵にまじはる神なれば月の障りもなにかくるしき
和泉式部は無事、お参りができた。
伝説となった。
式守操

