鳥居「野菜の匂いの雨」そんなところに不滅の愛があったこと

その前後の物語を必要としない愛

寝そべって算数ドリル解く午後に野菜の匂いの雨が降り出す(鳥居)

KADOKAWA
『キリンの子』鳥居歌集
(家はくずれた)より

恵まれた人生などそうそうあるものではないが、「家はくずれ」るまで恵まれないのもそうそうない。

何かがズレてしまった。
わたくし式守は、自分の人生において、これを、「人生がバカになる」と呼んできた。
ねじがバカになるのバカである。

人生が望んでいない時間と場所に占領される。
自分だけ知らなかった雨の予報が当たって、その雨にいつの間にか冷えてしまったような。

ところが、人生の雨は、そんな雨ばかりではないようである。
「野菜の匂いの雨」があるのである。

雨の匂いに母の手にある「野菜の匂い」が含まれた。

母と娘で作り出す音

サインペンきゅっと鳴らして母さんがわたしのなまえを書き込む四月(家はくずれた)

新学期が始まる。
「母さん」が教科書に「なまえを書き込」んだのか。あるいは新しく買ってもらったノートにか。

まだ幼い少女のまことささやかな憩いの時間である。
かつて「家」には、さりげなく話せばさりげなく聞く空間があったのである。

「きゅっ」という音を子どもでは出せない。
いや、出せるが、まだ知らないのである。
「きゅっ」という音があることを。ましてやどうやってその音が鳴るかを。

「きゅっ」という音が鳴れば、常に、そこに母はよみがえる。

母と娘の月の満ち欠け

お月さますこし食べたという母と三日月の夜のさかみちのぼる(家はくずれた)

ぼんやりとした月明かりの影に、その短い言葉で、温かい息がこもる。
「家はくずれ」る前の、これもまた、ささやかな憩いの時間だった。

いくつになっても骨肉の情愛は幼少時のまま保存されるらしい。

痛む胸に手をあてて目を閉じれば、この世に愛がないわけではないことがわかる。
この世は愛にあふれていないかも知れない。でも、ないことはない。

母へのおもいは、このささやかな光景を短歌に落とすことで、その人生に、屈曲の生まれない強度を持った。

月の満ち欠けは永遠にある。
されば母へのおもいは永遠に肌に温かい。

瞼が熱いものに浮き漂う。

野菜の匂いも不滅である

読み返す。

寝そべって算数ドリル解く午後に野菜の匂いの雨が降り出す(鳥居)

「家はくずれ」る激震を経たが、ここで、鳥居は、母へのしごく自然な感性が形成された。

どれだけの時を経ても「家はくずれ」た激震は心に残されることになったが、同時に、その感性も残された。

幼少期の家庭の空気が、少女の肌に、温かく養われたのである。
と考えてみれば、「野菜の匂いの雨」に、迫真力が帯びてこないか。

この一首は、そして、こうとも言えないか。
その人生に大ぶりな物語がないとしても、鳥居は、この世に絶対的に不可欠なものをすっとさしだしている、と。

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