玉井まり衣「とつくにゐない」断片は愛しく静かで温かい地平

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「死について詠つた歌」は

死について詠つた歌を読んでゐる  つくつた人はとつくにゐない(玉井まり衣)

ながらみ書房『短歌往来』
2026年3月号
「はるのかたち」より

その歌に「死」はどんなものだったのか、ご自分はどんな死生観なのか、それはわからない。
されど、
この一首こそ「死」について
ではないか。

屋上屋を架すようで気がさすが、そこを、もう少し補足したい。
筆者は、この一首を読んで笑ってしまった。
「死」の一字が目に入るも、わが脳では死を言語化できないところを、ごくカンタンにその本質を言い当てられた一瞬の混乱の防衛反応だった。

と言って、
どうせ人は死んじゃうのよ、なんて薄っぺらな印象がまったくない。少しも重々しく詠んでいないのに。

あまりにおもしろかったので解剖してみた

前半と後半のねじれ

前半で、「死について詠つた歌を読んでゐる」(歴史的仮名遣い/漢字)と。
が、後半は、「つくった人はとつくにゐない」(ほぼひらがな)と。

前半の硬質な表記は、どこか知的で、「死」を客観的な対象として眺めている。しかし、後半、すべてが「ひらがな」になるや、言葉から重力が消えた。

「とつくにゐない」という音の響きに、どこかユーモラスな、寂しい筈が耳に心地よく、死を悲劇としていない。
不在という厳然たる死は、平熱のまま受容されたのである。

不在によって存在が見える

要するに、この一首の構造が、「死の定義」を隠している。

その歌はどなたが作者だったのか、詳しい属性はわからないが、もうこの世にいないことだけは確かで、けれど、その歌はあるのだ。
その歌の作者は既に存在していない構造自体が、死であり、されど、人の生きた証は時空を超えて存在してもいる、

死んだ人の脳内

「死について詠つた歌」が、21世紀のものか、万葉集や古今和歌集のようなものかはわからない。
が、もうない人の脳内や心臓の鼓動に直接触れ得ていないか。

死について詠つた歌を読んでゐる  つくつた人はとつくにゐない

玉井まり衣「とつくにゐない」断片は愛しく静かで温かい地平

作者の玉井まり衣さんの死生観は、決して(どうせ人は死んじゃうの)の虚無感ではないわけだ。

消えていくからこそ遺されている断片は愛おしく、静かで温かい地平を、この一首によってひろげたことに、筆者は、敬意を惜しまない。

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