
目 次
世界の点景に身を置く
雲濡るゝみ山の杉をそのままに庭木となして人は住まへる(四賀光子)
筑摩書房『現代短歌集』
四賀光子集
「朝月」(昭和十三年刊)より
<「朝」は旧字です>
日常生活もどうしてどうして劇場舞台なのである。
神話のように華麗な美術はない。登場人物に堂々たる構図もない。
杉は天を、その手をのばすようにさしている。生きている人がここにいる。
この温もりは、現代では、得られないものなのか
温もりはいずこへ
風止みて夕日あかるし隣にも塀を隔てて落葉かく音(四賀光子)
窓一つ灯りをみせて雪の夜のおもひもふかく住む隣家かな(同)
いずれも
同「朝月」より
<「音」と「雪」は旧字>
ここには、温もりがある。
しかし、現代では、隣人は、まずは、警戒すべき存在である。
この温もりは、現代では、得られないものなのか。
短歌にも、現代では、このような眺めはもうそう見られない印象がある。
しかし、夜の電車で、遠くの闇を家々の灯りが削れば、そこに、感傷を覚えることは、現代人にだってあろうに。
この感傷は、そこに確かな生命を感知したからではないのか。
冷を温となす力
窓一つ灯りをみせて雪の夜のおもひもふかく住む隣家かな(四賀光子)
「夜のおもひもふかく住む」の「住む」であるが、「住む」と詠まれたからには、転居したばかりのご世帯ではあるまい。
「灯り」は、すでに板についた「灯り」で、これが、「雪の夜」に滲んだのである。
冷たい空気が顔を衝いた「夜」だったかも知れない。
されど、真冬の夜がいかに骨をかもうと、内にある血の、この温かさはどうだ。
家庭に価値を置く者であれば、造作もない愛情の波紋が、この一首で、読者に生まれる。
それが、このような眺めをこのように詠まれることは、なぜかとんと見かけなくなってしまった。
なぜ?
時代背景からか。あるいは、この国人々は、根本から変わってしまった、とでもいうことなのか。
唐突に青い電車
あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな(永井佑)
(議論の)方向性は大きく分けて2種類見られる。一つは作歌技法という観点から修辞の不在、もしくは稚拙さを批判する意見である。もう一つは低体温で内向きの世界観を批判する論調だ。どちらにせよ上の世代からは「トホホな歌」(島田修三)、「ゆるい歌」の代表格として否定的に見られがち(後略)
……と、あるが、わたしは、この一首が好きである。
永井祐なる歌人の、これが、この人の持ち得る言語の水準ではあるまい。「修辞の不在」など百も承知であろう。
わたくし式守は、この一首で、静かな正直さに魅力を覚えた。
このように生きておいでの世代があるのである。
痛ましい、とさえ思った。何度読んでもそう思う。
わたくし式守が読む限りでは、「あの青い電車」を眺める<わたし>は、窮鳥の声ではないか。
雲濡るゝみ山の杉をそのままに庭木となして人は住まへる(四賀光子)
「雲濡るゝみ山の杉」が「あの青い電車」とするのはどうか。
「人は住まへる」を「はね飛ばされたりする」とするのはどうか。
要するに、「雲濡るゝみ山の杉」よりも「あの青い電車」の方が、世界の点景として身を置いた再現性は高い世代があるのだろう。
この変遷は何。
この変遷を無視することができない
杉よりも電車なのか

あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな(永井佑)
この一首は、わたくし式守を、一読後、しばらくうつむかせた。式守をヘロヘロにさせ得た。
しかし、わたしがヘロヘロになった一首とはなったが、トホホはトホホなのである。
トホホ
その価値
「青い電車」の一首は、現代日本に少なくなく点在する心象を切り取って、先行世代には「修辞の不在」にトホホとなっても、修辞を必要としないまでに切実なものを表現した、との価値を置けないものか。
もっともそれならそれで憂国の情に堪えないのであるが……。
一方
み山の杉
「雲濡るゝみ山の杉」は、わたしをヘロヘロにさせ得て、なおトホホではない。
雲濡るゝみ山の杉をそのままに庭木となして人は住まへる(四賀光子)
現代の生きる場は、なべて「はね飛ばされたりする」ところなのか。
「雲濡るゝみ山の杉をそのままに庭木とな」す場所はもうないのか。
この国は、「窓一つ灯りをみせて雪の夜のおもひもふかく住む隣家」を感受することが、もうできない国になってしまったのか。
リンク
「橄欖追放 東郷雄二のウェブサイト」は、歌歴の長い人には夙によく知られているサイトです。
短歌を始めたばかりの方がせっかく興味を持った現代短歌を採取するのに、このサイトは、必ずや役に立つかと。
東郷雄二氏は京都大学の名誉教授。フランス語学、言語学がご専門です。