斉藤斎藤「あの夏のぼく」口語短歌の終止形で郷愁を生み出す

たのしい

斉藤斎藤「あの夏のぼく」口語短歌の終止形で郷愁を生み出す

あの夏のぼくはしんじる扇風機つけっぱなしで寝たら死ぬ説(斉藤斎藤)

本阿弥書店『歌壇』
2016.11月号
「蟹と立札」より

あった、あった、そんな「説」が。

タイマー付き扇風機が世に出た時は、これで扇風機をつけたまま寝たって死なない、と思ったものだ。

ほんとうのところはどうなんだろう。

調べてみた。

扇風機メーカーと扇風機ご愛用の方のために

健康な状態であれば、扇風機をつけたまま寝ても亡くなることはありません

メディカルトリビューン
「扇風機の風を当てながら寝ると死ぬ?」より

短歌としておもしろかったこと

しかし、この一首の、短歌としておもしろかったのは、初句2句の、

あの夏のぼくはしんじる

むしろこちらの方だった。

現在の<わたし>が、過去の<わたし>を、その心情はいかなるものかを隠して描写している。

・「あの夏の」とあるが、「ぼくはしんじる」と過去形ではないこと

・かつ「しんじる」は、漢字をひらいていないこと

・また「しんじている」でもないこと

短歌の一年生でした

あの夏のぼくはしんじる扇風機つけっぱなしで寝たら死ぬ説(斉藤斎藤)

一年生の頭に

斉藤斎藤「あの夏のぼく」口語短歌の終止形で郷愁を生み出す

自分も短歌を作るようになって一年になろうとしていた。

短歌の一年生の頭に、この一首は、深刻に打ち込まれた。

少年が主人公の詩が、ここに、短歌として存在している。

こんな方法もあるのか

オーソドックスとは言えないスタイルの短歌に、少し汗ばんだランニングシャツの少年の姿がはっきりと目に見えた。

この鮮やかな手品に、わたくし式守は、目がしばらく大きく見開かれていた。

いいなあ
こんな短歌を
自分も作れたらなあ

終止形に注目してみる

斉藤斎藤「あの夏のぼく」口語短歌の終止形で郷愁を生み出す

この連作「蟹と立札」に、次の二首があって、わたくし式守は、その終止形に注目した。

わたしならぐうの音も出ないメールだがわたしじゃないのでぐうの音が来る(斉藤斎藤)

震度7を体験できる家に上がり靴はそのままでと言われて履く(同)

口語短歌は終止形で止めることが多く、これは、よく議論されていることでもある。
その各論点までここでは踏み込まないが、終止形で止める口語短歌を、わたくし式守は、好意的に読んでしまう。

まだ短歌の一年生に、斉藤斎藤の短歌は、その後まで大きな影響を及ぼしたようだ。

「来る」という終止形

斉藤斎藤「あの夏のぼく」口語短歌の終止形で郷愁を生み出す

わたしならぐうの音も出ないメールだがわたしじゃないのでぐうの音が来る(斉藤斎藤)

この短歌を理詰めの散文にすれば、

これで納得するしかないメールを送ったが、この人は、これを反論してしまえるらしい

なんてところか。

どうなってるんだ、こいつ

こうくるかっての、ふつう

人と議論するにおいて、これは常識と理解していたことが、相手には、そのまま常識になっていないことがあるのである。


「来る」なる終止形に、わたしは、余韻・余情を覚えた。

「履く」なる終止形

斉藤斎藤「あの夏のぼく」口語短歌の終止形で郷愁を生み出す

震度7を体験できる家に上がり靴はそのままでと言われて履く(斉藤斎藤)

どんな「家に上が」ったか、と言えば、「震度7を体験できる家」だそうな。

「靴はそのままでと言われて履く」ところに、その緊張感は、新築マンションの内見会とは異なることがうかがえる。

汚しちゃいけない縛りはない

土禁でないところが「家」ではない

「震度7を体験できる」これはむしろ……、

施設ではないか

いったん脱いだ「靴」を改めて履くのはいかにも滑稽であるが、滑稽であっても、ここは履くしかなかろう。

という緊張感。


「履く」なる終止形に、わたしは、余韻・余情を覚えた。

ここに改めて「扇風機」

あの夏のぼくはしんじる扇風機つけっぱなしで寝たら死ぬ説(斉藤斎藤)

過去形にしないとこんなにおもしろくなるのか。

では、これが「しんじている」だったらどうだろう。

「しんじている」では、字余りになってしまうが、問題は、字余りにあるまい。

「ぼく」への、微量の批判が帯びて、おもしろいな性は、半減してしまうのであるまいか。

そんなことをまだ信じていたのよ的な。

そういうことじゃないんだよなあ

そういう話じゃないんだ。
「ぼく」は、「扇風機」を、「つけっぱなしで寝」られなかった。

そんなことできるもんか。
扇風機のスイッチをちゃんと消さなくちゃ。

そうしないと死んじゃうもん。

ああ、少年の日よ

野ゆき山ゆき海辺ゆき
真ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆゑに
うれひは青し空よりも。

佐藤春夫「少年の日」1より

佐藤春夫のこの詩「少年の日」は、人生の、まこと美しい詩であるが、わたくし式守は、斉藤斎藤の短歌によって、この「少年の日」に通じる郷愁が、胸にせつなくあふれていた。

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