
目 次
怖い
背後より子の首に手をかけてみる温かき肉の怖い感触(大崎安代)
短歌研究社『象を飼う家』
(格安)より
アタリマエであるが、子の首をしめようとした、とは詠んでいない。
しかし、「子の首」を「温かき肉」とする「温かき」が、<わたし>に、底冷えしている印象を持つ。
子は生きている。
どれだけ「子」を愛しているか、それは、計量できないほどのものである。
それを、<わたし>は、<わたし>の内に、改めて発見したのではないか。
しかし、そこに、「怖い」が伴った。

一秒にも満たない短歌
早速、読み直してみる。
背後より子の首に手をかけてみる温かき肉の怖い感触(大崎安代)
時間の経過は一秒に満たない短歌である。
「子の首に手をかけてみる」時間に、<わたし>の呼吸、機微、直感、動作そのもの、ありとあらゆるものがあつめられた。
たとえ母であっても、「子」の内包するものは、<わたし>一人の手に負えない大きさだった。
しかし、手に負えないですませられるわけがない。
「子の首に手をかけてみる」ことは、そう言ってよければ、乾坤一擲の時間だったのではないか。
なぜ怖い
「子の首に手」の「手」は母であるが、「子」は、ここで何かを察知しただろうか。
子は母に安堵している。
安堵しぬいている。
子は逃げない
母はここで、子の首をしめてみよう、などとは豪も考えていない。
子は逃げない
虐待の報道がかまびすしい昨今であるが、この母は、魔魅の掌握に落ちてはいない。
いないが、「温かき肉」は、母なる<わたし>に「怖い」、と。
紙一枚の差

寝てる子を置いて出掛ける遠ざかる程に高鳴る心臓の音(大崎安代)
同歌集
(ぶるん)より
わが子に何もないでくれ。
なんて言葉におさまりきらないおもいが、それはアタリマエの話であるが、母にはあるらしい。
何もないでくれ。
しかし、何かあるとして、その何かとはたとえば何だ。
日常を脅かすものはどこにでもいる。
どこからでも絶えずこちらをじっと見ている。
すきあらばめちゃめちゃにされてしまう。
それは紙一枚の差にある。
紙一枚の差に存在するものによって、人は、幸福が崩壊することがある。
紙一枚の差の存在を排除する力は、しかし、<わたし>にはないのである。
怖いとは
改めて読み直す。
これで最後だ。
背後より子の首に手をかけてみる温かき肉の怖い感触(大崎安代)
幸福を崩壊させる存在が、「子の首」の「温かき肉」に映し出されていた。
子育てを朝から晩までする吾を偉いと誰も誉めないけれど(大崎安代)
同歌集
(ぶるん)より
けれど、って。
未来に豊富な幸福を

ああ
世界中の
母なる存在よ