大橋恵美子「ザリガニをとる」宿題はむしろ親にドラマを生む

子の宿題は家全体を揺るがすように

一年生の「ザリガニをとる」宿題が一家の土日の予定を変える(大橋恵美子)

河出書房新社
『【同時代】としての女性短歌』
「ゆっくり疑問を」より

大橋恵美子「ザリガニをとる」宿題はむしろ親にドラマを生む

子の宿題が親の宿題にもなるらしい。

一年生では、まだ、一人で行かせられない。ともだちといっしょでも危ないことに変わりはない。
保護者が必要なわけだ。

大人に迷惑な宿題?

でもないのではないか

血が騒ぐ親(まあ父親か)だっていよう

子に宿題とは

宿題をしろ、と約束させられる質感が、「ザリガニをとる」宿題にはない。

小一で自分の部屋があるかどうか、まああったとして、学習机でいかにも無気力な姿は、「ザリガニをとる」宿題でイメージできない。

子に、宿題によって、宿題からの解放になったのではないか。

大人に迷惑な宿題?

でもないのではないか

自分がどれだけ「ザリガニをとる」ことが自慢だったか、子に誇れるチャンスになった親(まあ父親か)もいようか

親に子の宿題は

大橋恵美子「ザリガニをとる」宿題はむしろ親にドラマを生む

「パパ それは ボクのたも(※)だよー。」いつまでも「教えてやる。」パパたも手放さぬ(大橋恵美子)

※たも=攩網
水中の魚類をすくいあげるのに用いる小型のすくい網。

『同』
「同」より

ほれ、ほれ、ほれ

やっぱりこうなる

父親は息子の宿題を奪った

「一家の」

「一家の」の仰々しさが魅力的だ。
読み返してみる。

一年生の「ザリガニをとる」宿題が一家の土日の予定を変える(大橋恵美子)

一家の

「一家の」の措辞の、これを深読みすれば、「一年生の」子は、せっかく親がいっしょに行くと言っているのに、それでも「ザリガニをとる」のをカッタルイと思っていて、そうと言ってもいて、ならばとレジャー化してしまった、なんてことだってあるのではないか。

ほんとうは父親だけちょっと近くに散歩する程度の見通しだった。その程度の負荷だと見通していたのである。

ザリガニなんて好きでもない姉や妹が巻き込まれる、とか

宿題のドリルとザリガニ

宿題がどれだけたいへんか、実は、親はもう、忘れている。

そろそろ二学期が始まる、となって、夏休みの宿題に油汗をかいていたのは、思い出話でしかない。
学校の宿題よりもたいへんなものに縛られて、今は、毎日を生きているのである。

しかし

子が世話をしなくなりたるザリガニの水槽の水夫(つま)が換(か)えおり(大橋恵美子)

『同』
「同」より

大橋恵美子「ザリガニをとる」宿題はむしろ親にドラマを生む

「ザリガニをとる」を終えると、こんどは、ザリガニを育てるが待っている。ザリガニを育てるまでが宿題だったのである。

つまり

ドリルよりもずっと難儀で、かつ責任を伴う宿題だった。
それを、子は、ザリガニの宿題は完結させている。

一家の予定を変えるの真の意味は

一年生の「ザリガニをとる」宿題が一家の土日の予定を変える(大橋恵美子)

子が世話をしなくなりたるザリガニの水槽の水夫(つま)が換えおり(同)

「一家の土日の予定を変え」た、その「土日」は、父親が、あるいは夫が、休日に、「水槽の水」を「換える」ことが生まれた、むしろこっちにあるのではないか。

父親が世話しなければ死んでしまうかも知れないのに、子の、なんと無責任なありさまか。
しかし、わたくし式守に、これをけして不健全とも不道徳とも思えない。むろんいつまでもこうであってはいけないが、ここに、むしろ子どもらしさを思えるのである。

家族連れの行楽で賑わう山道ばかりが家族の絵ではない。

大橋恵美子「ザリガニをとる」宿題はむしろ親にドラマを生む

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