
目 次
もちろん立派な仕事です
電柱に向かいてしばらく立ちていし男がやおら登りはじめぬ(沖ななも)
北冬舎『白湯』
(身の嵩)より

沖ななもの歌はいつもおもしろい。
この一首もおもしろい。
が、この一首は、おもしろい先に感動を覚えてしまったのである。
電柱に登る必要があるお仕事の人かと。
それ相当の作業着も着ていたことかと。
余計なことを口にすれば、下着ドロボーなんてことは、絶対にないかと。
わたしは、結句まで読んだところで、つい、
あっ
と、なってしまった。
そうとも思えば
電柱に登る仕事の人は、高所作業による危険が伴う。高圧電流に伴う危険もある。
作業内容によっては、豊富な専門知識が必要で、そのために、たくさんの勉強もしてきた人たちだ。
そうとも思えば、
読み直してみて、「しばらく立」っていたことに凄味がないか。
そして「やおら登」った、と。
読み直してみよう。
電柱に向かいてしばらく立ちていし男がやおら登りはじめぬ(沖ななも)
かっこいい
かくして人の世の中は

この国のインフラは、能力が高く、それが、国民にアタリマエになっている。ここに人の手がかかっていることに思いが及ばないまでに。
「(電柱に)やおら登りはじめ」ちゃう人がいて、ほんとうはアタリマエではないことが、アタリマエになっていたわけだ。
などとカッタルイことを言ってしまうと、この一首の、せっかくのたのしさを損なってしまいかねないが。
理屈のない尊さ
沖ななもは、ちょっとした一筆書きのようなスケッチで、アタリマエのことを、実は、アタリマエでないと説くのである。
かくして、わたくし式守は、人と世の理屈のない尊さに気が付く
そのあたりをもっと上手に讃えたいのであるが、いかんせんわたしにその筆力はなく、ただ、たとえば次の一首も、沖ななもに、この世界とこの世界の人間たちへのたしかな面差しが刻まれているからではないか、と。
百にあまる部品が適所に働きてわが自転車は快走をせり(沖ななも)
北冬舎『白湯』
(日日(にちにち))より
ほら、ほら、ほら。
アタリマエなことは、そこに、必ず人間の手がかかっている。
人間の知恵で完成を見た。
人間の知恵で流通したものなのである。
飽くなき合理化を推進する過程で忘れられてしまう多くの人間たちを、わたしは、そこに見るのであるが。
