
目 次
世俗の中で

その前に為さねばならぬ二つ三つ 明日は夜行で行かうと思ふ(岡本貞子)
KADOKAWA『短歌』
2015.7月号
「夜の川」より
短歌というのは、そこに詠まれていることの、そのほとんどは、いたって単純なことなのである。
わたしが大好きな短歌では、たとえばこんなの。
ヘラクレスオホカブトが欲しきといふ少女脱毛をした腕の照りつつ(梅内美華子)
KADOKAWA『短歌』
2015.9月号
「船形石」より
昆虫を
ほしがっている
少女がいます
話としては、ただそれだけのことなのである。
しかし、それが何の昆虫で、少女は、どんな姿だったのか、そういう表現の次第によって、こんなにおもしろい歌に変わるのである。
先頭に引いた一首はどうか。
その前に為さねばならぬ二つ三つ 明日は夜行で行かうと思ふ(岡本貞子)
あれこれ用事があって
明日は
夜行になっちゃうわ
単純どころじゃない。
その用事についても、明日の夜行についても、表現らしい表現が見えない。
選択された語彙の、そのいずれかを梃子に、この一首の世界が増幅されたのだとすれば、下句の「明日は夜行で行かうと思ふ」か。
そうするしかないではないか、たしかにここは。
と、おもしろく読めた次第
ほんとうに夜行になってしまって

見るとなく夜行列車にて窓見れば外の景色は車内と同じ(岡本貞子)
同「同」より
<わたし>は、あれこれあったおかげで、あくる日は、ほんとうに夜行になってしまったようだ。
この一首も単純だ。
単純どころじゃない。
それが夜行であることは非日常であろうが、窓に向けてちょっと首をかしげてみました、というただそれだけのことなのである。
が、下句に、「外の景色は車内と同じ」と。
外の景色がほんとうは車内と同じじゃない、と言い切れようか。
夜行であれば、外の光は、車内まで透過しない。だから車内の窓は鏡になってしまうのであるが、これを、「車内と同じ」って、あらまあ。
と、おもしろく読めた次第
夜行とあれば眠っていたが

連続音不意に変はりて覚めにけり然(さ)うか夜の川渡りゐるのだ(岡本貞子)
同「同」より
橋の上を走っているらしい。
乗車している体感に変化があった。
「然(さ)うか」と。
この一首の世界が増幅されたのは、「然うか」、このただ一言に負うところが大きいかと。
鉄橋を渡っている、としないで、「夜の川を渡りゐるのだ」と「のだ」まで添えての措辞もおもしろいが、この「然うか」で、<わたし>と伴に、読者も、今、夜行に乗っている。
と、おもしろく読めた次第
岡本貞子の心の動き

短歌というものを始めたばかりの頃に、先の、梅内美華子の短歌もそうであるが、この連作は、いくたりと読み返した。
おもしろかったからであるが、わたくし式守に、なぜそんなにおもしろかったのか。
なぜ?
選択された語彙(まことに平易な語彙)によって、一首内の遠近感は、岡本貞子なる<わたし>の顔を、アップで映し出した。
その表情は、鮮明だ。
されば、岡本貞子なる<わたし>の心の動きは、その再現もまた、鮮明である。
夜行列車で、読者たるわたしもまた、驚きを持った