岡本育与「回す地球儀」地球の皮膜は母子の愛に蔽われていて

回す地球儀

アメリカの息子の電話を台湾の息子に伝えて回す地球儀(岡本育与)

本阿弥書店『歌壇』
2016.4月号
「春は静かに」

アメリカと台湾の、どちらが兄でどちらが弟か。それはどうでもいい。
が、<わたし>はまず、アメリカと電話した。ここは重視したい。

アメリカに電話したのか。
違う筈だ。アメリカから電話があった。
と、筆者(わたくし式守)は読んだ。

アメリカのどこなのか。それによって変わってくるが、アメリカの、たとえばそこがニューヨークであれば、息子さんが正午に電話をすると、母を、深夜の1時に起こすことになる。そんな時差があっても、母は子の、息子の声を聞いたであろうが。

一方、台湾は、日本の1時間先である。
これは母から息子にかけた。
息子はまだ起きている時間だ。寝ている息子を起こさないでいい。

地球は丸く回転している。
<わたし>は、息子と生きている地球儀、いや地球を回した。

岡本育与「回す地球儀」地球の皮膜は母子の愛に蔽われていて

地球を半周

わが思いはるばる電波に乗りゆきて今日は地球を半周巡る(岡本育与)

「同」より

アメリカと台湾にいる息子さんと電話をした、と。
電話の声は、そのまま母なる思いである。

そして、そのことを「地球を半周巡る」と結ぶ岡本育与さんであった。

地球は丸く回転している。
半分回転すれば半日だ。

母と子は、地球半日分の距離を隔てているわけであるが、そんな距離を、母の思いははしった。
母と子の隔たるところ、そこは、ただただ簡明にして、何者の手も穢せない。

でも
これって
いつの話

初日の出

初日の出窓より写真に収めおき久しく愛猫二匹とくつろぐ(岡本育与)

「同」より

岡本育与「回す地球儀」地球の皮膜は母子の愛に蔽われていて

母一人で
初日の出を
写真に収めた

電話は元旦だったのか。
必ずしもそうと断言できないが、そう考えてもよさそうだ。

母に、年明けは、このような周辺があった。
このように新年を迎えた母に、息子は、たとえ地球サイズの遠くにいても電話することを怠らなかった。

この簡明の穢れなさに涙があふれてこないか。

でも、アメリカであろうが、台湾であろうが、帰国して、愛猫と過ごす母のそばにいてあげる方がもっとよくないか。

とは言わない約束なのか

事情があろう

そもそも地球半周分も距離があるではないか

子のからだを、電波が巡るように、ここ日本に運べるものではない。

が、
母は子に、一言の恨みも放たない。

吉野の桜

時経るも静御前の悲しみを知るや乱舞す吉野の桜(岡本育与)

「同」より

岡本育与「回す地球儀」地球の皮膜は母子の愛に蔽われていて

春になった

吉野の桜の美しさを、母は、ここに詠む。
息子たちは、ここ春美しき日本にはいないようである。
そして……、

静御前に
おもいを

静御前は、言わずと知れた義経の内妻である。
舞の名人だった、と伝えられている。
義経の兄頼朝に追われて愛する夫と生き別れた。愛する子は、頼朝の手による者に殺された。
乱舞する桜に、岡本育与は、静御前のおもいを重ねる。

一言「悲しみ」と。

それは「悲しみ」と。

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