
目 次
マネキンを写して人間を知る
マフラーが巻かれて冬のマネキンとなりぬ硬い表情のまま(中山みどり)
本阿弥書店『歌壇』
2017.1月号
「冬のマネキン」より
冬のマネキンの硬い表情によって、人間の女の人がマフラーを巻いている顔が目に浮かぶ。
それは、やはり寒いは寒く、マフラーから顔を出した頬が、すこし赤い。
そのすこしのぬくもりを、この一首によって、わたくし式守は、目にすることができた。
マネキンを写して人間の人間らしさが映し出された、というところか
唐突に小便小僧

小便小僧って人前で平気で小便してるよな
ぬぁんてことを、フツー人は言わない
ところが、そうでもないようなのだ、これがまた
人は、人前で小便なんてしない、あるいは、してはいけないことを、改めて明るみにするための序章に、小便小僧の話を持ち出す人が存外いたりするのである。
人前で小便はやめようね、
と一言で言えばすむことを、こんな持って回った前置きをするわけだ。
小便小僧を題材にして道徳を説く、それはそれで、一つの工夫として
小便小僧とマネキンの違い
マフラーが巻かれて冬のマネキンとなりぬ硬い表情のまま(中山みどり)
冬のマネキン
マフラーが巻かれるまでは、季節を持たないマネキンだったのである。
あるいは、ついこの間までは、夏のマネキンとしてビキニをつけていたのかも知れないが。
しかし、今は、冬のからだの存在としてそこに立つ。
あくまで冬の。
冬の
硬い表情
マフラーを巻くために特別に誂えた、言ってみれば、裸の状態にして既にして冬の顔のマネキンなどないのである。
(あ、いや、探せばどこかにあるかも知れませんよ)
どの季節も、このマネキンは、同じ表情である。
硬い表情しか持っていないのである。
硬い
小便小僧なんて持ち出して人間の道徳を説くのとマネキンを持ち出して人間の人間らしい表情を表現するのは、方法論としては似ていても、獲得されるものはまったく異なる
「なりぬ」と「まま」
で、マネキンですが……
読み返す。
これで最後だ。
マフラーが巻かれて冬のマネキンとなりぬ硬い表情のまま(中山みどり)
なりぬ
この「なりぬ」がいい。
マネキンはマネキンで、季節々々で、忙しそうではないか。
まま
この「まま」もいい。
もともと他に表情なんてないのに。
非マネキンにマフラー/冬の表情

表情の乏しい人がいる。
しかし、変化がまったくないことは、ぜったいにない。
人間は、夏には夏の、冬には冬の、それぞれの季節のものを纏うことで、表情がよく動く。
夏には冬の、冬には夏の表情を隠して、おりおりの季節を生きるのである。
と、いうことを、
中山みどりは、冬のマネキンを表現して、わたしに、冬の人間を見せてくれた。