
目 次
人生が二度あらばこの人生は何なの
人生が二度あらば嗚呼そのようなかなしいことがあってはならぬ(中島行矢)
本阿弥書店『歌壇』2016.8月号
『モーリタリアの蛸』
(本阿弥書店)
<第13回筑紫歌壇賞>
伊藤一彦抄出より
人生がもう一つ待っているのであれば、人生があまりに辛い人には、何よりの救済にならないか。
だが、そうではない。
そうではない、と迫るものが、一読してわたしを圧した。
何?
今のこの人生はどうなるの

「人生が二度」あるとする。
こんどは辛いばかりの人生じゃないとする。
それはいい話のような気がする。
でも
今の人生は何よ?
まこと何よ?
辛いなかをそばにいてくれる人は?
同じように辛いなかをともに生きている人は?
唐突にニュートンくんのお出まし

古代ギリシャよりこっち、人間はその人生に意味を、と。
そりゃ意味があった方がいいもんね
現代日本のわたしもそう思う
ところが、おおかたは、意味を持つに至らないままに、のこりの人生がわずかになってしまう。
古代ギリシャはいったんおいておこう。
時を経て、世界史は、ニュートンを得た。
ニュートンは、時間の絶対的な概念を、人間と世界に定着させた。
時間は戻せない
世界史はニーチェくんと語らう

人生に意味はない
ニーチェにかかると人生はこうなる。
そして、その人生を、何度だって繰り返すのよ~~~
ニーチェくんてば、メンドクサイ人だったのね
「永劫回帰」と言うそうな。
それができれば「超人」とやらになれるんだそうな。
短歌の力
読み返す。
人生が二度あらば嗚呼そのようなかなしいことがあってはならぬ(中島行矢)
だが、
今のこの人生に人とは何。
今のこの人生の時とは何。
韻文とは、そこに、どれだけの力が内在しているものなのか。
「人生が二度」は、なるほど「かなしいこと」だ。
短歌なる韻文は、ニュートンやニーチェとも張り合えるものを包蔵できるようである。
中島行矢は、どの時代のどの年代にも絶滅することのない観照を、短歌で世に送り出した。
それは、実に淡い諦念に縁どられたものであるが、人生はやはり、今のこの人生だけなのである
この一首の呼吸は実に美しい。
