長沢美津「容易にて」その短歌の前に何をどう思ってきたのか

なぜおもしろい

くずすこと容易にて高く積み上げし積み木の上になほ一つ積む(長沢美津)

新星書房『車』
(積み木)より

長沢美津「容易にて」その短歌の前に何をどう思ってきたのか

なんでまたたかだか積み木を積む歌がおもしろいのだろう。

「くずすこと容易にて」で始まって、結句に「なほ一つ積む」と、たかだか積み木の短歌が精巧に仕上がったことに驚嘆する。

わたしが積み木の歌を作ってもこうはできない。
もっともそれ以前に積み木を歌にしたいとはならないのであるが。

それが何か? とはならない歌を歌の上手な人は作れるわけであるが、この一首で言えば、
「くずすこと容易にて」
そして、
「なほ一つ積む」
がポイントか。

逆を言えば、このような措辞法を持っていないと、それが何か? にしかならない歌になってしまうわけだ。

短歌の措辞に

その短歌を、これは、と思わせるには、これは、と思わせるだけの措辞が必ずどこかにあるのである。

が、そんな措辞を可能にするのに、何も天才的なレトリシアンでなくてもいいようなのだ。

いかにも豪華絢爛な措辞は要らない

「くずすこと容易にて」
そして、
「なほ一つ積む」

特別感の全くない措辞ではないか。

いかにも独特な措辞ならどうか

「くずすこと容易にて」
そして、
「なほ一つ積む」

特別感の全くない措辞によって、この歌は、全体の緊りがよくなっているではないか。

じっくりと整理してみたい

積み木に何を考えた

・くずれてしまうこともある、と

・事実、くずれる可能性は低くないのである

積み木をどうしたか

・それでもまだ積んでみた

・そういう遊戯じゃないか

何かを思った、と

その心情に
過不足のない
語彙を斡旋するわけだ

短歌の措辞にまず必要なこと

散文であれば名文と讃えられるような修辞は要らないようだ。

豪華絢爛な修辞だからこそおもしろい短歌はあろう

斡旋された語彙の独特ゆえおもしろい短歌はあろう

されど、その短歌を、おもしろいな、とつい連れていかれる措辞を、必ずどこかに置けばよく、それを可能にするかしないかは、結局、そこまでにどんな観照があったかかと。

その観照がおもしろいもので、適当なところに、その観照を置けば、わたしの短歌でも成功するのである。

で、その観照をいかなる語彙で斡旋するか、であるが、ここで初めて、選び取るべき語彙は検討されよう。

もちろんそう簡単な話ではなく

をさなごがねむたくなるまで機嫌よくころがる球を追ひて遊びぬ(長沢美津)

新星書房『車』
(秋)より

長沢美津「容易にて」その短歌の前に何をどう思ってきたのか

このような光景は、街中に、最近は、そうそう見かけなくなりつつあるが、それでも歴史から消えた光景ではない。
また、子が外で遊ぶ短歌は、現代も、枚挙にいとまがない。

であるのに、この短歌は、やはりおもしろいし、新鮮な印象さえ持てるのである。

なぜ

そうか

その短歌の前に
何を
どう思ってきたのか

リンク

新星書房のサイトはないごようすです。(20.10.13現在)


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参考リンク