
目 次
自分はすでに短歌に収まっているのか
かへり路の旅の終りのひとときを眠りをはりて地図をたたみぬ(長沢美津)
新星書房『車』
(帰路)より
昏迷な埃の世界へ戻る境目の、完璧な抒情詩を、わたしは、この一首に得た気がした。
珍しくもない眺めも、実は、濃密な時間があるかと思った。
短歌の<わたし>が、初めから、短歌に収まっているではないか、と
平易な語彙に凛としたありさまが

「ひとときの旅の終りのかへり路に」ではない。
それでは「眠り」につながる調べにならない。
これにより「眠り」のなかを、手は、「地図」をひろげたままだったことがわかる。
そして、そこまでの「旅」は、ただの行楽ではなかった。
まねをしてみる
<草稿>日帰りの旅の途中のうまそうなソフトクリームナンタラカンタラ
唐突に
短歌のおけいこをはじめます
作者たるわたくし式守が、歌意を、とれない。
「ソフトクリーム」に至る行動軌跡を記録しているようだが。
お手本を見直す。
かへり路の旅の終りのひとときを眠りをはりて地図をたたみぬ
ある一点の時間に、定型に、自分を強引にはめこんでいない。
<草稿(の手直し)>日帰りの旅のホニャラホニャララどこにでもあるソフトクリーム
この方がまだいいか。
あ、いや、よくはないな。が、定型に、強引に、何かを、たとえば自分を押し込んでいない、という意味で。
わたしの「ソフトクリーム」
を、完成させるには……。

まずは、定型にすでにちゃんとあるらしい(長沢美津では初めから歌に合わせているところの)<わたし>と「ソフトクリーム」の言葉を掴み取ること。
で、言葉を掴み取る、そのルートは、郷土の特産品でもない「ソフトクリーム」の一語に、ピンと張りつめた印象をなぜ持ったか、そこを考え抜いてみること。
詩を覚えた筈なのである。定型に自分がおさまっていた筈なのである。
たかだかアイスクリームで呼び覚まされる何らかが。
その何らかがふわっと歌の器に乗っかればいいわけであるが、言うは易しで、そう簡単な話ではない。