
目 次
こんな非常事態もある
こ町内の皆さまに申し上げますが私のオウムをどこかで見かけませんか(武藤雅治)
桃谷舎『あなまりあ』
「ひよつこりといましかがみのかたすみに」より
この一首、オウムをインコにしたらおもしろさは半減するように思える。
なぜ。
インコではなくオウムだからおもしろく読める理由があるのだ、と考えてみたい。
もっとも、オウムとかインコ以前に、「こ町内の皆さま」と呼びかけていることがまずおもしろい設定なのであるが。
「オウム」が持つ能力への畏怖
インコはかわいい。「小鳥」の範疇である。
なのにオウムはどうよ、ということですよ。
大型で長寿だ。
そして、知能が高い。かどうかは知らないが高さそうだ。
オウムはただ鳴かない。
人語を解するように、人間さまを模倣する。これが町内に逃げ出そうものなら、もはやペットの迷子ではなかろう。何しろ人語を解するのだ。
オウムは人のマネをする。オウムは人の言葉を預かる自分の分身なのである。
考え過ぎか。
でも、筆者(式守)だったら、他人の家の軒先で、わたしの秘密を喋り散らされてはかなわん、となるが。
「オウム」のサイズがまた微妙
「ご町内の皆さま」なる住宅街に、オウムが潜んでいるのである。
やばいぞ、
となりませんか、ということですよ。
そして、南方系のあの極彩色。サイズがまた小鳥程度のものではない。
困った。
だから「こ町内の皆さま」とまで
選挙の日や猛暑日に、自治体からアナウンスが流れることがある。
エコーがかかったあの放送の声。
たかだか鳥一羽のことで、町全体を、そんな放送に巻き込んでしまった。
でも、オウムなのである。<わたし>は、パニックに陥った。
などと言っては深読みであるが、いくらムードはメルヘンでも、事態の外郭で判断すれば、そうともなるではないか。
そのパニックを補強するのが「私の」だ
いったん読み返す。
こ町内の皆さまに申し上げますが私のオウムをどこかで見かけませんか
「私のオウム」である、と。
「私の」である。
所有権?
いや、そんな権利関係のニュアンスは帯びていないな。
何と言えばいいか、この響きには、執着が見え隠れしていないか。
淡々と放送している言葉の下で、混乱は、いよいよ煮え立っている。
で、インコではこうならない
これがインコでは珍しくない風景に回収されてしまうのである。
が、「オウム」が選択されたことによって、ただのペット探しの歌ではなくなった。
これを敷衍すれば、自分の一部である言葉を紛失して、もうなりふりかまってはいられなくなってしまったのではないか。
オウムだからなあ。
インコだったらこうはあわてない。
見棄てると言っているんじゃありませんよ。パニックには陥らない。
人間誰でも秘密あり=ホラーワールド

失ったものはオウムという個体ではない。<わたし>が世界に隠している秘密である。
武藤雅治さんは、歌で、実は、人間であれば誰もが隠している秘密が炙り出される恐怖を描いた。オウムを介して、この世界の道徳に合わない一面を見せてしまいかねない可能性を、歌に、投げ込んだのである。
まことていねいな公共用の言葉を破調にして、クオリティの高いホラーワールドが、ここに結実した。








