武藤雅治「ウサギさんからメール」短歌にはこんな祈りもある

読む目安: 約3分

「カヘルになりました」

「カヘルになりました」と、ウサギさんからメールが届かないかしら(武藤雅治)

桃谷舎『あなまりあ』
「そんなに祈らないでもいいから」より

おもしろい歌とか、たのしい歌がある。
が、この一首は、その類の中で異彩のおもしろさ、たのしさを覚えられた。
ただの遊び心の歌で終わらなかったのである、筆者には。

蛙と兎を別の生物にしたとする。
それでも成立する歌かも知れない。が、これほどおもしろくは読めまい。

推論

まず、この歌を単なる言葉遊びではない、と考えてみるのはどうか。もことかわいいファンタジーと読みつつも。

ナンセンスなんてカテゴリーもあるが、筆者(わたくし式守)は、ナンセンスとしては読まなかった。読めなかった。
この一首の意匠は、筆者に、純度を極めた祈りになったのである。

ということについて以下……

 「カヘル」という旧かなの違和感

メールなんて科学的なツールで、あえて「カヘル」と旧かな表記が使われていますよ、ということですよ。

単なる「カエル」ではなく、また「かえる」でも「蛙」でもない。「カヘル」と詠まれた。
民話や神話のような、もう取り返しのつかない異界と接触してしまう序章のようではありませんか、ということですよ。

ウサギとカエルの関係性

“鳥獣戯画”を彷彿とさせる組み合わせであるが、この歌において、ウサギとカエルは、決して隣り合ってはいないのである。
メールである。
メールで、ウサギは、「カヘルになりました」という報告だけを残して、別の生き物になった。
もう以前とは違う暗喩にも読める。

「届かないかしら」と。
「かしら」と。
<わたし>は、これを、可能性を信じて願ってもいるのではないか。

ウサギもカエルもぴょんぴょん跳ねる

「ウサギさん」は、蛙になっても、やはりぴょんぴょん跳ねる特性がある。どっちも予測不可能な生物なのだ。

筆者は、一読者として、こんなメールは届かないとわかって読んでいて、でも、一方で、予測不可能なウサギとカエルだよ、わかんないよ、とも思えているのである。
それも「カヘルになりました」って、あなた。

しかし、平凡な暮らしの中で、こんな不可解な夢を、<わたし>は、作者・武藤雅治さんは、実は、生き生きと描いておられるのである。
「かしら」ってね。

この受動性に、筆者は、愛惜を持たないではいられなかった。

結論

武藤雅治「ウサギさんからメール」短歌にはこんな祈りもある

読み返す。

「カヘルになりました」と、ウサギさんからメールが届かないかしら

わかってきた。わかってきた。

筆者(わたくし式守)がどうしようもなくこの歌に惹かれるのは、この一首が、あまりに哀切で、こんなメールが届かないことはわかっているのに、潰えることはなさそうな夢として描いているからではないのか。

おもしろいとかたのしいとか、たとえばSNSで流行する歌の多くは、共感を発信したものである。されど、この一首は共感とは質が異なるのだ。

兎や蛙に、筆者は、まずはぴょんぴょん跳ねるイメージが先行するが、もっと心の深いところでは、いつも震えている繊細な存在としてイメージしていて、結果、この歌の哀切で儚い夢は、作者・武藤雅治さんを離れて、わたくし式守の、自分の存在というものへの救済の祈りになった。

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